14歳、中学2年生だった。周りの友達の半分以上が、初潮を迎えていることを母に話したら、「遅く始まったほうがいいよ。嫌なものなんだから。早く始まると面倒よ。ママも16歳の終わりに始まったし、おばあちゃんもすごく遅かったみたい。あなたも遅いはず。良かったね」と言われた。
「初潮は遅い方がいい」と母は強く言った。私は生理を悪いものと覚えた。生理は来ない方がいい。母より先に生理が始まったらおかしい。それは、初潮に対する恐怖になった。
「お願いです、16歳になる前に初潮が来ませんように」日々、そう願っていた。
15歳で初潮を迎え、生理痛も倦怠感も無視し母にばれないようにした
私の願いは届かず、15歳で初潮を迎えた。16歳の誕生日の半年前だった。血の滲みた下着を見てまず考えたのは、どうやって隠すか。経血の洗い方は、学校の性教育で習っていた。家族が寝静まる夜中を待って下着を洗い、自分の部屋でドライヤーを使って乾かした。母のナプキンを1枚だけ使った。
母より早い初潮。母にばれたら、なんて言われるか。大きな罪を犯したような気持ちだった。16歳まで隠さなければ。月に一回来るそれに私は怯え、隠すためにすべての力を注ぎこんだ。
生理ナプキンは、母が行かないドラッグストアで買った。部屋に置いておくと母が見るから、学校に持って行くバッグに隠した。ナプキンはなるべく外で取り替えるようにし、使用済みナプキンは学校のトイレにこっそり捨てた。
夜は熟睡しないように気をつけた。2時間おきに起きて、シーツが汚れていないか確認した。生理痛も倦怠感も気分の落ち込みもすべて無視した。体調が悪そうなそぶりを見せてはいけない。生理中もいつもと変わらず部活をし、明るく振舞った。
神経質な母が何も言わなかったから、ばれていなかったと思う。生理が終わった時には、身も心も疲れ果てていた。やっと終わった、でも、1か月経てばまたこの苦しみがやってくる。生理なんてなくなればいいのに。
母と生理の話ができなかった。でも、母には生理を歓迎してほしかった
16歳の誕生日の1か月前。母にばれた。6回目の生理だった。経血が派手についたシーツを見られた。部活で疲れ、ぐっすりと眠ってしまったのだ。「私は遅かったのに、あなたはもう始まったのね。今から大変だけど、女だし仕方ないね」 母は感情のない顔でそれだけ言った。突き放されたと思った。
何度も生理を迎え、22歳になった。今、振り返ると母の気持ちは理解できる。生理は面倒で憂鬱だ。自分の子どもがそんな経験をするのをできるだけ先延ばしにしたい、そういう思いがあったことは分かる。
でも、母には生理を歓迎してほしかった。健康に初潮を迎えられるように娘を育てたことを誇らしく思ってほしかった。
今でも、私は母に生理の相談を一切しない。母の前では生理を欠片も出さない。母から隠さなければ、という意識は私の中に刷り込まれているのだ。
生理のことは友達に相談する。生理痛への対処法も、タンポンやピルについての知識もネットや友達から得た。「生理痛がひどくてお母さんと産婦人科に行ったんだ」という友達の話に私は驚きと羨ましさを感じた。お母さんに生理の話をできるのは普通のことなのか。母に相談できない自分を寂しく感じた。
生理を語れる世の中になってきた。女性はもちろん、男性も生理を理解しようとしている。好ましいと思う一方で、自分の過去と母を思い複雑な気分になることもある。母は、この世の中をどのように見ているのだろうか。自分の娘が、半年間生理を隠し続けたことを知ったらどう思うのだろう。
私と母は生理や自分の身体の話をしない、世の中に取り残された親子
母が若い頃、生理を積極的に語るなんて考えられなかっただろう。生理に振り回されることも今より多かったのではないか。母の生理の捉え方は、そんな世の中で作られたのだろうか。そうだとしたら悲しい。
私は大学で看護学を専攻している。そして、女性が健康に生理を迎えることが当たり前でないということを学んだ。生理の捉え方はそれぞれ。面倒、憂鬱。そう思うことは間違いではない。
でも、“大切なもの”ということだけは、誰の根底にもあるべきだ。頑張って明るく捉える必要はない。ガラスに触るような優しさも少し違うと思う。ただ、大切なものとして受け入れる世の中が必要だと私は思っている。
母は今、48歳。閉経や更年期が見えてくる節目の年齢だ。母の生理がどうなっているか、私は知らない。母は何も言わないし、私も聞けない。私も自分の身体の話はしない。“そういう話”ができない親子。世の中に取り残された親子。困らない。でも、寂しい。私は生理を隠した15歳のままなのだ。
いつか、1人の女性として母と話をしたい。悩みを話し、悩みを聞きたい。そして、大人の女性になりたい。