お金があれば幸せなのか。裕福な家庭に生まれた私は甘ったれているのか。
私の半分の仕送りで生活している大学生は皆頑張っていて素晴らしいとほめられたものなのか。
それともこれは周りの人たちの私やお金に余裕のある人達への僻み?

月18万の仕送りで欲しいものは買えるけど、私にはこれしかない

実家の自営業の年商は億単位。
私は月18万の仕送りがある。家賃光熱費込みだ。ほしいものは大抵は値段を気にせずポチポチネットで買えるし、おなかがすけばコンビニで値段を見ずに好きなものが買える。
月1万のジムに通い、毎月4万のパーソナルトレーナーのもとに通い、普通車に乗って通学する。
これだけ見れば、確かに、学生にしてはきらきらした贅沢な毎日に見えるだろうか。
でもね、私には、これだけ、なのである。

これ以外のものは、何も、持っていない。
なんにも。
ほんとうになんにも。

まず、私が父と母に受けてきた言葉。

太ってる、やばいよ、また太った、なんでアンパンマンみたいな顔してんのw、汚らしい、けがらわしい、ぶたっぱな、あなたはいつも失敗する、あなたは性格が歪んでる、あなたは根性が曲がってる、頭おかしい、頭おかしいんじゃないの、ばっかみたい、きもちわる……

こんなもんじゃない。いくらでも出てくる。一度だけ言われたとかじゃない。両親から、実の両親から、繰り返し、何度も、何度も、何度も何度も。小さい時からずっとだ。

加えて母は病的じゃないかと思うくらい沸点が低かった。いろんな人にあたりかまわず激昂する人だ。あまりに突然斜め上の理由で怒り出すので、みんなびっくりした顔をする。
実の娘となればさらに容赦ない。髪を引っ張られて顔をコンロであぶられそうになったこともあるし、包丁を突き付けられたこともある。殴る蹴る怒鳴るは日常茶飯事。

はたから見れば恵まれた家庭だけど、両親の言葉が私に付きまとった

次に、はたから見れば恵まれた家庭だ。求められることも多かった。私には多すぎた。
何もかも1番でなければ許されなかった。どれほど努力しても結果が出せなければまったく意味がない、と言われ続けて育った。
死ぬほど頑張った。努力しかなかった。
しかし、努力は報われる、なんてことはぎまんだ。人には人の、生まれ持った能力というものがある。超えられない壁は確実に存在したのだ。

要領が悪いのかどんくさいのか。何もかも横滑り水の泡。受験にはことごとく失敗した。
『あんたは必ず大事なところで失敗する』
『結果が出せなければすべて無意味』
この二つは特に私にずっと付きまとった。

すべり止めの大学に入った時には、私はすべてのスイッチをオフにした。
努力したって、すべて『無駄』だった。
もう一生何も頑張らない、と胸に誓った。頑張れば頑張るだけ、つらくて苦しいのに頑張り損だ。どんなに頑張ったって両親は認めてはくれなかった。ひとことだってほめてはくれなかった。

すべてをやめた。考えることも、まじめにすることも。
遊びまわった。何かを考えないようにするには、からっぽなことでもし続けることが必要だ。生産性も何もない、からっぽの時間を数えきれないくらい過ごした。

鈍感になった。どんどん鈍感になっていった。
いろんなことに鈍感になるように努めた。
そうでないとやってられなかった。

今の私には金庫と学生には贅沢な生活しかない。これが楽な生活?

しばらくして摂食障害になった。吐くのもなんてことなかった。食道が裂けてたくさん出血したこともあったけど、吐き続けた。アンパンマンみたいな顔じゃなくなったら、少しは両親が認めてくれると思った。

だんだん夜眠れなくなった。
学校にも行けなくなった。
自由に散財して過食嘔吐する食材を買いあさるのにお金が必要だった。
風俗で働き始めた。
食べ吐きのためならなんともなかった。

いよいよ精神科の先生の介入があって、いま、私は家族との連絡は一切断っている。
毒親による愛着障害が根本にある、と先生には言われた。
愛が欲しかった。愛が欲しかった愛が欲しかった愛が欲しかった。
いまや、私には家族はいない。実家は腫れ物に触るように仕送りは止めていない。
いや、最初から家族はいなかったか。
あるのは金庫だけ。
傍目には学生には贅沢な生活だけ。

ねえ、私は甘ったれていますか。何も知らない同級生や大人たちは、学校に行きたくない子が親の財力に甘えてるだけだと思ってるけれど。
“恵まれている”子はみんな楽だけして生きていると思いますか。