「結婚とは、仕事である」
そう感じてから、私は筆を執らずには居られなくなった。
「結婚とは、好きな人とするもの」
幼い頃はそう信じて疑わなかった。恋愛の延長に結婚はあるものだと。
この世はそういう物語で溢れている。知らず知らずのうちに刷り込まれる概念だ。
けれど、現実はそんな単純ではない。
結婚をして、子供が生まれたとする。子育てというのは、一人の人間を育て上げるということだ。この世にこれ程難しい仕事があるだろうか。
女性も働け、産め、そして働け。なんだか荷が重すぎやしないか
男女平等。女性活躍。これからは、女性が積極的に社会に出て働く時代。
女性の皆さん、男性と同じくらい働いてくださいね。
少子化のことも考えて、結婚して子供も産んでくださいね。
私にはこう聞こえてしまう。
働け、産め、そして働け。
これからは現役世代が高齢者一人を支える肩車型社会だ、年金なんてあてになりそうもない。言われなくても働きますとも。
でも、子供を産むことができるのは女性しかいないのに、男性と肩を並べて働きながら、さらに子供も産んでって、なんだか荷が重すぎやしないか。
男女平等と謳っておきながら、未だ減らない女性蔑視の発言。政治家が失言するとニュースでひたすら流される。
その度に私は、結婚したいと思えばするし産みたいと思ったら産むぞ、と心に固く誓っていた。
私は結婚したい、子供も産みたい。けれど、しぼんでいく淡い期待
20代も半ばを過ぎた頃、周りの友人が結婚について考え始めたので、私も考えてみることにした。
結論から言えば、私は結婚したいと思った。子供も産みたいと思った。
ここまでは良かった。淡い期待で満ちていた。
今の仕事はもちろん続けたいけれど、子供が生まれたらなるべく一緒にいてあげたい。産休、育休、時短勤務。
仮に私が働けなくなっても、暮らしていけるような安心感が欲しい。安定した収入のある堅実なパートナー。
この辺りで条件だらけになっていることに気付いた。しぼんでいく淡い期待。
結婚相手選びが、自分だけでなく子供の将来にもかかってくるのは言うまでもない。
就職活動より難しいじゃないか…。転職を経験している私としては、結婚にも失敗してしまいそうで、漠然とした不安を感じていた。
「結婚とは、好きな人とするもの」
幼い頃はそう信じて疑わなかった。恋愛の延長に結婚はあるものだと。
もちろん、この世には物語のような結婚をして、幸せに暮らしている人たちだっている。まるで、魔法にでもかかっているかのように。
私は、うまく魔法にかかれなかった。
結婚とは仕事である。楽しいだけの恋愛から、苦楽を共にする相方探しへ
「結婚とは、仕事である」
苦楽を共にする相方を探す、そう考えればいいのだ。
万人に受け容れられる考え方ではないと思うが、今の私には一番しっくりときた。
好きだから、楽しいから。その感情だけで乗り切れるほど、人生は甘いものではない。
そう思った時、私は子供の頃に食べた菓子のことを思い出していた。
まるで、麩菓子みたいだなぁと。
麩を黒糖でコーティングした、お馴染みの駄菓子である。麩菓子の端は蜜が固まっていて、カリッとかじるとじゅわ~と口の中に優しい甘さが広がる。
「結婚とは、仕事である」という考え方は、この甘さとの決別に近いと思う。
楽しいだけの恋愛から、苦楽を共にする相方探しへ。
未熟な私は、簡単なことで決意が揺らいで、またあの甘さを味わいたくなってしまう。
それでも、まだ見ぬ未来に再び照準を合わせる。
パサパサした麩と表面の僅かな黒糖の甘みだけで構成される麩菓子の真ん中を、相方と一緒に食べ進めていけば、いつか端にたどり着く。
それは、かつて感じた甘さより一際甘く感じられるだろう。
結婚への漠然とした不安は、消えていった。
世の中が落ち着いたら、相方を探しに行こう。
とりあえず今は、久しぶりに麩菓子でも買おうかな。
苦楽を共にする相方が見つかることを願いながら、麩菓子を楽しむ私であった。