この1年半の間に何度も思った。もっと20代前半までに、たくさんの人と付き合えば良かった。気になる人にガンガン声かけてアプローチすれば良かった。連絡先交換すれば良かった。
後悔先に立たず。26歳現在、独身、彼氏なし。
結婚適齢期真っ只中、婚活に励みたくてもコロナでだいぶ制限されるとは思いもしなかった。

恋愛する気になった矢先コロナ禍に。20代前半は自分に必死だった

みぞうの危機だからこそ、巷では「大切な人の存在」が鮮明になるらしい。中学、高校、大学の友人が続々と結婚、出産と次のステージへ進む。
何度タイムラインでこんな投稿を見ただろう。

「この度、以前からお付き合いしていた方と結婚しました」
「先日、第一子を授かりました」
部活の合宿で共に練習に励んだ彼女と彼は、綺麗なオーシャンビューのチャペルで白いドレスとタキシードに身を包んでいた。大学1年の時に片思いしていた彼は、プロフィール写真で赤子を抱いていた。

そういう投稿を目にするたび、素直に「おめでとう」のいいねを押せない自分がいる。

今、次のステージへ踏み出している彼ら彼女らは10代後半から20代前半にかけて、何かしらアクションを起こしたから、今の幸せな状況があると重々承知している。
私は何をしていた?ずっと共学でチャンスはいくらでもあったよね?

思い返せばいつも自分に必死で恋愛どころではなかった。受験、就活、転職。その間に何度も精神的に病んで、生きていくのに精一杯だった。
やっとこさ仕事が安定して、趣味もできた。ようやく最近になって恋愛してみようかしらという気になった矢先、コロナ禍になった。

マッチングアプリで出会っても、話せば話すほど意識の違いに気づく

マッチングアプリに頼り出したのは、もう職場での素敵な出会いも友達からの紹介も望みが薄くなった2020年の暮れ。そこから何人かの人とお話し、何人かの人とお会いした。

このご時世、会うのは同じ県内に住む人に限る。共通の知り合いがすぐ見つかる。それをきっかけに、ある程度は会話は続く。
しかし話せば話すほど、コロナに対しての意識や考えがだいぶ違うんだなと気づく。

遠くへは行けない。長時間居られない。頻繁には会えない。会うのは昼間だけ。
それでも私は良かった。焦って距離を縮めなくとも、コミュニケーションをじわじわ回数重ねてお互いを知っていけばいい。そして話し合ってどうするか決めればいい、とマイペースな私。

「もう少し落ち着いたらね」「緊急事態宣言明けたらね」本当に言葉通り。
決して会いたくないから先延ばしにしてるわけではない。だっていずれは「大切な人」になるんでしょ?

「大切な人」がコロナに感染したり、万一それで命落としたり後遺症残ったら嫌だもん。
一方、そんな思いは届かず「早く会いたい」「いいじゃん」「大丈夫でしょ」と返信する彼ら。そのうち「これ以上発展しないなと思って」「つまんない奴だな」に変わった。

人生の荒波を共に乗り越えるパートナー探しはきっと不要ではない

ああ、そう。私はあなたの「大切な人」にはなれないんだ。私を大切にしてくれない人なら、要らない。トーク履歴を全部消して、連絡先も消した。

今もアプリはスマホのホーム画面上にある。でも今は検索条件を色々変えて、色んな男性の顔写真をただ眺めるだけのおもちゃになり下がっている。そろそろアンインストールしようかしら。

居住地を県内から関西、全国へ拡大する。範囲を広げれば広げるほど、いいなと思う人は増える。むしろ他の地方の人の方が話が合うかもしれないと思う。
「趣味は旅行です」「ドライブ好きです」って言う人と話しても、コロナじゃなかったらすぐに「今度、○○へ行ってみませんか?」と言えるかもしれないのに。今は同じ関西圏を移動するのにも躊躇してる。

あまりがつがつしてるとも思われたくない。でも20代後半の時間を無駄にしたくない。
何より幸せになりたい。人生の荒波を一緒に越えるパートナーが欲しい。
それは不急なものであっても、不要ではないと思いたい。