タイムマシンに乗って、数年前の私に会いに行き、教えたいことがある。
数年前、私はどうしようもなく、自分を責めてしまった。
私が中学生の時に、母は病気になった。いつしか、その病気とともに生活することも、日常になっていた。
でも私は、日常になっていくほど、寂しかった。良く言えば、適応していったのだから良いのだけれど、私はどこか寂しかった。

母に協力的でない自分と、辛そうな母の姿に、やり場のない想いが募る

気づけば、看護師を目指すようになり、大学進学。
だが、勉強するほど、心が苦しかった。知識が増えるたびに、苦しくなった。それは、家庭での私の在り方が、あまりに母に協力的ではなかったからだ。

大変な時、母をもっと手伝えたら良かったのに、手伝えなかった自分。どうして私がやらなければいけないの?と、反発する心が出てきたり、病気が日常に溶け込むあまりに、協力する事そのものを忘れてしまったり……。
私は遅くに帰宅することも多々あり、バイトに明け暮れ、たくさん遊び、学生を満喫していた。

そんな、自分に気づいた時に、どうしようもなく後悔した。
どうしてもっと、あの時手伝わなかったの?今もどうして手伝わないの?
そうやって、自分を責めてしまった。
自責の念にかられると共に、母の辛そうな様子を近くで見ていて、切ない気持ちになっていた。色々な複雑な気持ち。泣きたい事が何度もあった。
でも、母の前では泣けなかった。病気を患う本人が一番、辛いのだから、私が悲しんでは、苦しんではいけないと思っていた。そうやって、自分の気持ちを下へ下へと押し込んでいた。
そもそも、誰のせいでもないのだから、この感情を誰に、どこに、ぶつけていいのか分からなかった。やり場のない想いが募った。

気持ちを吐き出せず、心身が悲鳴をあげていたあの頃の私に伝えたい

そして、その複雑な気持ちを、誰にも吐き出せなかった。同じ環境にいる人なんて、自分以外いないのだから、誰も理解してくれないと思っていたし、大好きな友達の前でメソメソしたくなかった。強くいたかった。

そんな学生時代を過ごし、卒業が近づく頃に、私の心身が悲鳴をあげた。抑え込んでいた気持ちが大きく爆発した。大好きな友達にも会えないほど、会いたくないと思うほど、私は生きる気力を失ってしまった。
その事実が、本当に悲しかった。
私は、人前で弱音を吐かず、涙を見せない事が強い事だと勘違いしていた。弱みを見せられなかった、助けを求められなかった私は、弱い人間だった。
そんなあの頃の私に、タイムマシンに乗って会いに行けたなら、こう伝えたい。

本当の強さとは……弱みを曝け出せること。
悲しい時は、泣いていい。
辛い時は、辛いと言っていい。
誰かが一番、辛い、苦しいなんて事はない。
人の感情に一番もニ番もないのだから、比べる必要はない。自分の心に素直でいい。
と……。

限りある時間の中でやりたいことを考え、その中で誰かの役にたちたい

今は、色々な人のお陰で、すっかり元気になった。
でも、卒業してから一度も看護師はしていない。親族と会えば、
「どうしてやらないの?もったいない。コロナワクチンの接種、人手不足してるじゃない」
と言われる。ごもっともだと思うが、その言葉に私はなんとなく寂しくて、苦しくなる。

どうしてやらないのか?私にだって分からない。
やらない理由や、やりたくないことを考えるより、私は限りある時間の中でやりたいことを考えていたい。その中で、誰かの役にたって生きたいと思う。これは、都合の良い考え方だろうか?

タイムマシンに乗って、数年後の私は、今の私に何と言ってくれるだろう?