天気がいいと化粧をする。もうノリノリである。
空はどこまでも澄み渡り、光は踊り、雲は陰影をつけられて得意げに浮かぶ。
私の鼻にはハイライトがつやり、眉はふわり、まつげはくるりだ。
でも実を言うと、そんなのはここ数年のこと。
自信がないくせにおしゃれに憧れる私への痛烈な皮肉のような言葉
大学にもすっぴんで通っていた。マスカラを初めて付けたのは就活メイク講座を受けた日の夜。まつげも指先も大惨事だった。
メイクやおしゃれに興味がなかったわけではない。ただ、高校まで真面目一辺倒にきてしまって、今更どこから手を出せばいいかわからなかった。
それに私は自分の周りにある本やラジオや、地味といわれる事どもを気に入っていた。教授の講義は面白かったし、陶芸部で土まみれになるのも気にならなかった。
自分がおしゃれになることは、その世界から出ていくことのような気がしたのだ(実際には部内におしゃれな人はいたし、よく聞いていたラジオのパーソナリティーはラッパーだった)。
それにもうひとつ、影のように貼りついて離れない言葉があった。
「精神の恥部はまるだしで 顔に化粧するご愛嬌。」
詩人、石垣りんの詩の一節である。これ自体は決して化粧している他人を嗤う言葉ではない。家や血縁の重みを背負って家計のために働き、働くために化粧をする毎日へのため息のような言葉である。
しかし当時はなぜだかこの一文だけを取り出し、自分に自信がないくせにおしゃれにも憧れ始めている私への痛烈な皮肉だと思っていた。
東京へ来ることが転機に。多くの人が自分のスタイルを表現していた
外面だけ誤魔化そうとしているのか。そんなことをしている場合なのか。
そのくらい当時の私は大変に自虐的であったし、見た目をよくして自分という人間へのハードルが上がるのも避けたかった(どんだけ)。
転機は就職して東京へ来たことだ。多くの人が自分のスタイルをてらいなく表現していた。
所属と言ってもいい。あえて雑に例えるなら原宿なのか表参道なのか吉祥寺なのか、というような。自分がどこに属する人間なのかを積極的に示していた。
もちろんその一環に「メイク」もある。メイクとは自分を飾るというより表現するためのものだった。
私はまず、身だしなみのためのメイクをした。眉を整える、肌を整える。そうやって自分の属する会社に仲間入りをした。
会社はもうひとつの変化をもたらした。自分の自信のなさ、そこからくる「知られたくないし目立ちたくない」気持ちにかまっていられなくなったことだ。
仕事は忙しい。業務内容も頭の中も忙しくなる。毎日失敗をして色んな人とのコミュニケーションに戸惑って、自分の苦手も弱さもことごとく知られてしまった。
受け入れてもらえたことで、自分のしたい格好を探せるようになった
にも拘わらず、私と付き合ってくれる周りの人たちがいた。自分の欠点は自分が一番よくわかっていると思っていた。だけどそれ自体は大した意味を持たない。
人を困らせ、フォローされ、許されてようやくその欠点の意味を知る。自分を受け入れてもらえたように思ったのかもしれない。
私はそれまでより自分に対して開き直れるようになった。人の目を気にしなくなり、自分のしたい格好を探すようになった(私のよくいる場所は神保町だ)。
メイクは練習も必要だし毎回時間もかかるけれど、鏡を見るたび気分が上向く。
気分を上げる方法も、楽しい気分の表現方法も多いに越したことはない。天気のいい日に仕事しか予定がなければ、そのウキウキをどうにかせねばならない。
いつもよりちゃんとメイクをして、スカート履いて出勤したら「何かあるの、今日」と聞かれ、「いい天気だったので!」と答えたら笑ってもらえた。
ともすれば真面目に固まっていきがちな私に色をさし、毎日を軽くふんでゆく。そのくらいの位置にメイクはある。