「俺に会いたいんじゃないの?」
何通かの価値のないやりとりの後、そう綴られたLINEのメッセージ。
込み上げてくる吐き気に、返事もせずに即ブロックした。

2年前に別れた男。わたしを何度も殴った男。わたしを愛していると言いながら、わたしの人格や存在を否定する言葉を、躊躇いなく何度も何度も投げかけてきた男。心から不幸を願っている男。
そんな男からのLINE。

あの男にとって、わたしは好きに扱える人形だった

あの男と付き合っていた頃、わたしはモノみたいだった。
この人がわたしの運命の人だ、とほとんど直感して恋に落ちて、言われるがままにあの男の好みに合わせてどんどん自分を変えていった。

あの男が好きな趣味の悪いワンピースを着て、あの男が好きな芸術性のない音楽を聞いて、あの男が好きな値段が高いだけのレストランに行って。あの男に割られた、大切にしていたマグカップは、もともと大切なんかじゃなかったわ、と思い込んで。
二十数年かけて作り上げたはずの人格や感性を自分で捨てて、あるいはわずかながら残っていた自分の好みは言葉や暴力で否定され、口を開けてあの男から注がれる愛だけを待っていた。だらしない顔をして。

だらしない顔の人形だった。
「殴ってもいい、暴言を吐いてもいい、絶対に自分からは離れていかない、だから好きに扱っても大丈夫、だって俺の人形だから。でもたまに大切にしてあげる」
あの男にとって、わたしはそういう人形だった。

わたしを人間として慈しんでくれる、優しい人に出会って

でも、人形だったわたしは、ある日また急に運命の恋に落ちてしまった。人形でいることに疲れ果てていたし、新しい運命の相手は、わたしを人間として扱ってくれたし。

あの男との壮絶な別れ話を乗り越えて、新しい恋人と日々を過ごす中、わたしはどんどん自分を取り戻していった。
わたしはこういう服の方が好きだった。わたしはこんな髪型は嫌いだった。わたしは「言うことを聞かない自己中で最低な女」ではないし、わたしを「言うことを聞かない自己中で最低な女だ」と罵って何度も殴ってきたあの男の方がおかしかった。
暴力を許してはならないし、わたしは生きているだけで素晴らしい。

新しい恋人は、過去のあの男の所業を警察に相談することさえ提案してくれた。わたしを人間として慈しんでくれる、優しい恋人だった。

でもそんな新しい運命の相手との恋も、2年経って終わってしまった。運命の恋は何度も訪れて、何度も終わるらしい。

二度と自分を見失わない。二度と人形になんてならない

久しぶりにわたしがフリーでいることを、どこからあの男は嗅ぎつけたのだろう?
2年ぶりにLINEが入った。あの男の仕事についての話で、わたしは毛ほども興味がなかったけれど、参考になりそうな書籍を教えてくれと頼まれて、本が好きなわたしは何となく無視ができなくて、返信してやった。
すると「貸してよ」って。「いやだ」と返した。躊躇なく。

そうして、「俺に会いたいんじゃないの?」と。

信じられなかった。自分が何をしたのか覚えていないのだろうか。
お前に首を絞められて吐いたこと、わたしはまだ覚えているからな。お前にコーヒーを投げつけられてできたシミ消しのために、壁紙の貼り替え代が3万円もしたこと、わたしはまだ覚えているからな。お前に割られたマグカップ、本当はすごく気に入っていたんだからな。

さまざまな憎しみが急に込み上げてきて、あの、首を絞められた時のように酸っぱいものが込み上げてきて、返信してやった自分が情けなかった。

どうもあの男にとって、わたしはまだまだモノのようらしかった。
言うことを聞くはずの人形。だらしない顔をして、愛をもらおうと待ち構えているように見えるらしかった。

ああいうタイプの男、つまり躊躇なく相手をふみにじることができてしまう男というのは、一度でも自分の所有物としたモノを、手放すことができないんだろう。
少し失くしていただけで、久々に出てきたから好きなように扱ってやろう、と気まぐれに思っただけなんだろう。
その人形は、失くす前は自分に恋をしていたんだから、今も自分に恋をしていると、信じているんだろう。

でもわたしは人間だ。一度は見失った人間としての尊厳を、必死で取り戻した人間だ。
そんなわたしをまだ、終わらない恋をしているとみなしている男がこの世で息をしているという事実にまで、酸っぱいものが込み上げる。

わたしは二度と自分を見失わない。二度と人形になんてならない。

あの男の、終わらない恋の幻想を打ち砕くべく、わたしは意志を持った指さばきでスマホの液晶をなぞった。
あの男のLINEはあっけなく、ブロックリストからも消去された。