私はこれまでずっと共学に通ってきたが、今年4月に女子大学に入学した。
志望理由は、興味のあった分野を学ぶことができ、かつ学力にも合っていたからで、女子大であったからという訳ではなかった。
女子大に入学してからはジェンダー平等について向き合う機会が増えた。授業で取り上げられたり、課題でジェンダー平等に対する自分の考えをレポートにまとめることが多かったからだ。ジェンダーについて考えるようになったことで、共学での学校生活について違和感や疑問を覚えた。

共学生活での違和感や疑問は、仕方がないことだと思い込んでいた

1つ目は校則について。
私の高校の校則は「指定鞄が男女で違う」「女子は靴下が紺色と白が選べるが男子は白のみ」など男女で異なる部分がいくつかあった。
通っていた時はそんなものなのかなと深く考えたことはなかったが、今考えるとなぜ男女で区別する必要があるのだろう。鞄も靴下も好きに選べたらよいのにと思う。
そのように校則について考えるにつれて、そもそも男子はズボンで女子はスカート、男子は髪を短く女子は肩まで、と多くの学校で決まっているのだろうと思い始めた。
女子でもズボンをはきたい子もいるだろうし、髪を伸ばしたい男子もいるかもしれないのに、性別によって校則を変えることで男子はこうあるべき、女子はこうあるべきという概念を押し付けているように感じた。
2つ目は異性との関わり方について。
小学校の頃から異性との接し方や距離感に悩んでいた。男子と仲が良すぎると女子から「媚びている」「男好き」と噂され、反対に全く関わらないと「協調性がない」と言われる。異性と同性とで態度が同じでも違いすぎてもおかしいと思われてしまい、どうしたら良いのか分からなくなってしまった。また、男子が女子の見た目についていじっているのを聞いてからは、男子からの評価についても悩んでしまっていた。
共学では、男子からの目も女子からの目も気にしなくてはならず、面倒くさいと感じることもあった。高校生になると恋愛が絡んできて余計に大変だった。しかし15年間もそのような環境だったため、これは仕方がないことだと思い込んでいた。

なぜ、共学に通っていた時は特に何の疑問も抱かなかったのだろう

女子大に入学してからはそのようなことを考えずともよくなり、ずいぶんと楽になった。
最低限の身だしなみは気を付けるが、あくまで自分らしくいられている。それと同時になぜ性別が違うだけで接し方や距離感を考えなくてはいけなかったのかと、疑問に思うようになった。これらの疑問は別学に入学して初めて感じたものだった。
なぜ共学に通っていた時は特に何の疑問も抱かなかったのだろうか。
恐らく、同性と異性は全く別だと無意識に自分の中で決めつけていたからだと思う。違うから校則も変わるし、対応も同性と一緒ではいけない。女子がズボンを着るのはおかしいし男子が髪を伸ばすのはいけないことだと思ってしまったのではないだろうか。
別学に入学し、ジェンダーについてしっかり学び自分らしく生きる大切さを知ったからこそおかしいと気が付けた。共学に通っているからジェンダーについて理解ができる訳ではないのだと感じた。

男女ともに、様々な環境で多くの経験を積むことが大切

もし、もう一度選べるとしても、高校までは共学を選ぶのではないかと思う。なぜなら、悩んだ思い出だけでなく、楽しいことも沢山あったからだ。
共学であったからこそ得られた友人や先生との出会い、経験なども沢山ある。共学と別学、両方を経験できたことで違和感や疑問を持つことができたのではないだろうか。
男女ともに様々な環境で多くの経験を積むことが大切なのだろう。
女子もスカートとズボンを選べる学校が増え、実際にズボンをはく女子学生も増えている。そのように、性別に囚われず自分らしく生きられる選択肢が増えることで、ジェンダーについての理解も深まっていくのではないか。