今年の6月に『毎日働く生活から一転、毎日が休日生活に。自分に大人の宿題を出した』というエッセイを掲載いただいた。このエッセイの結びに、生まれたばかりの赤ちゃんに会いに行く予定だと書いた。
今回は後日談として、生後1ヶ月の赤ちゃんに会った日のことを綴っていきたい。
赤ちゃんと過ごす柔らかくて温かい時間のおかげで、心もふにゃふにゃ
5月中旬の昼下がりに、わたしと美彩ちゃんは駅前で待ち合わせをした。いつ雨が降り出してもおかしくない、そんな空模様の日だった。
出産祝いのプレゼントを抱えて、わたしと美彩ちゃんは、梨乃ちゃんの住むマンションを訪ねた。まだできたばかりのマンションはホテルのようなエントランスだった。
出迎えてくれた梨乃ちゃんは真っ黒なワンピースを纏っていた。一方、赤ちゃんは赤地に黒い水玉のトップス、緑と黒のストライプのズボンに身を包んでいた。西瓜に扮して、わたしたちを待ってくれていた。
わたしと美彩ちゃんは交代で赤ちゃんを抱っこした。長い時間、赤ちゃんを抱いていると、赤ちゃんの頭とわたしの腕の間がじんわりと熱を帯びていった。湿り気のせいか、赤ちゃんの後頭部の髪の毛がくるりと弧を描いた。気付けば2時間が過ぎていた。
息抜き程度にミルクをあげたものの、それ以外は何もしていない。たわいのない話をしながら、ただ赤ちゃんを抱いていただけだ。とても柔らかくて温かい時間を過ごした。
こんな時間をずっと前にも過ごしたような気がする。それなのに、初めて過ごしたような不思議な感覚だった。
柔らかくて温かい時間のおかげで、わたしの心はふにゃふにゃになった。脳までふにゃふにゃになったのか、クマのイラストが描かれたピンク色のハンドタオルを梨乃ちゃんの家に忘れてきてしまった。
赤ちゃんは世界に出てくる前から、幸せをプレゼントしてくれていた
赤ちゃんと過ごした時間をありがたく思う一方で、なんだか切なくなった。赤ちゃんはこの時間を絶対に覚えていないのだ。
そんなの当たり前だ。生後1ヶ月の赤ちゃんが日々の出来事を記憶するはずがない。赤ちゃんに一緒に過ごした時間を覚えていて欲しい、そんなの不毛な望みだ。
赤ちゃんと過ごす柔らかくて温かい時間は、わたしにだけ幸せな記憶を残していくのだ、今までもこれからも。
赤ちゃんはこの世界に出てくる前から、幸せをプレゼントしてくれていた。
臨月を控えた梨乃ちゃん、わたし、美彩ちゃんの3人でランチに行ったのは、3月中旬だった。出来たてのオムライスを食べながら、たわいのない話をしていた。
食事が終わる頃に、わたしと美彩ちゃんは、梨乃ちゃんのお腹に触らせてもらった。妊娠中のお腹には今までにも何度か触れたことがある。それなのに、初めて触ったような不思議な感覚だった。
わたしも存在しているだけで、周りに幸せをプレゼントしてきたのかも
当たり前のことだけど、わたしだって自分が赤ちゃんの時のことなんて覚えていない。おそらく、3歳1ヶ月の七五三の時がわたし最古の記憶だ。
もらったばかりの千歳飴をお母さんに取り上げられて、残念な気持ちになった日だ。それより前のことは全然覚えていない。
覚えていないくせに知ったような気分でいるのは、アルバムを見返したり、周りの人の話を聞いたりしたからだ。もしかしたら、わたしもただ存在しているだけで周りの人に幸せをプレゼントしてきたのかもしれない。
赤ちゃんはもうすぐ生後3ヶ月を迎える。上手く笑うようになった赤ちゃんは、しばらくすれば首がすわる。わたしはこの3ヶ月で何が変わったのだろう。きっと気付かぬうちに何か一つくらい変わっているはずだ。でも、さすがに赤ちゃんほど全力で毎日を生きている自信はない。
そう言えば、内祝いで桜色のハンドタオルが届いた。このタオルを手にするたびに、柔らかくて温かい時間を思い出せますように。