私はうつだ。おそらくうつになったのは、高校生のとき。もう10年以上も前のこと。ひどかったときは、泣いて、寝込んで、廃人のようだった。

5年ほど前に治療を開始して、今は少しましだけど、やっぱりときどき気分が落ちて、泣きたくなるし、死にたい気持ちにもなる。どうしようもなくなって、誰とも口がきけなくなることもある。頭の中はぐるぐるしているのに、それに見合ったことばが出てこなくなって、押し黙るしかなくなる。そうなると、出てくるのは涙ばかりだ。

非難されると思っていた「死」、きちんと受け取ってくれる人がいた

でも、うつだと気付いてくれて、私を治療へと導いてくれた人がいた。その人は、私の話をずっと聞いてくれた。私がこぼすことばを、ひとつひとつ大事に拾ってくれた。そして、私にも温かいことばをかけてくれた。

ある日、私はひどく気持ちが落ち込んで、ベッドに横になりながら泣きじゃくっていた。もう限界だと思った。

「死にたい……」私がそういった一言に、その人は「そうか……。つらいな……」とその一言だけつぶやいた。そこから私は、さらに泣いた。ようやく外に出せたひとことを、そのまま受け取ってくれる人がいたことに、安堵していた。

それまでは「死にたい」なんて口にできなかった。ずっと考えていた。どうやって実行するのがいいのだろうかと、いつも考えていた。でも、それを口にするなんて、とんでもないことだと思っていた。「なんてことを言うんだ」と、非難されると信じて止まなかった。

でも違った。きちんと受け取ってくれる人がいた。それは私の回復の源になった。

年齢を重ねるごとに「気持ち」をことばにすることが難しく感じていた

そして、言える人がまた一人増えた。私のこころの声を、こころの叫びを聞いてくれる人が増えた。

「いま、とってもつらいの。どうしたらいいのかわからない」と私が言ったら、「そうか……、よく話してくれたね。ありがとう。何かできることある?今、思ってること、話せることある?」と問いかけてくれた。

そのときに思い出した。私は小さい頃からおしゃべりが大好きだった。2歳頃には、とっても上手に話していたと親から聞かされていた。でも、年齢があがるにつれて、こころの中にあるものを、ことばにすることが難しく感じて、本当に言いたいことは言えなくなっていた。

その理由の一つに、両親の不仲があったと思う。両親は、いつも喧嘩していた。幼心に、私のせいだと思ってしまっていた。自分のせいだから、つらくても言えなかった。「つらいよ、かなしいよ」なんて、私には言えなかった。

でも、ようやく言えるようになった。言える人が増えていった。こころの声を、自分のことばを受け取ってもらえるようになって、私は少しずつ回復していった。

ことばは人を傷つける刃になることもあるけど、「元気の源」にもなる

そして今、私はカウンセラーをしている。悩んでいる人のことばを聞いて、ことばを返す仕事だ。もちろん、ことばは人を傷つける刃になることもある。

その一方で、ことばを受け取ってもらうこと、適したことばを返してもらうこと、そのやりとりは、元気の源になる。カウンセリングは普通の会話とは少し違うけれど、人と話すこと、人とつながることが、傷ついた人を癒したり、元気にしたりしてくれる。

「ことば」は私の元気の源だ。こころの内をことばにすると、少し余裕が生まれる。ことばを受け取ってもらえると、安心する。わかってもらえると、うれしくなる。ことばのやりとりができると、元気になれる。

気を付けながらではあるけれど、「ことば」にすることが、私が「元気」のためにしていることだ。