悩んで過ぎる時間は一生懸命生きている証。創作の仕事に就きたい私

私は現在20歳の学生である。
将来どのような仕事に就こうか、自分の夢は叶うのかについて、毎日悩んでいる。悩んでいても時はすぎていく。時が過ぎるということは、一生懸命生きている証で、人生の大事な局面に来ているなと常々感じる。

私は将来、創作関係の仕事をしたいと思っている。今生きていく中で当たり前に使っている家電や家具、携帯電話などこれらは誰かが作り出したものである。漫画や映画、音楽も同様である。

何かを作って、人に褒めらて、後世にも語り継がれていくということは、歴史上に名を残すと同じくらいすごいことなのではないかと私は思う。だから私も自分が何かを発明して、とまではいかないが、何かを作り出したいと思っている。

SNSがあるおかげで、自分が作り出したものを公表しやすい。だが、ここで一つ問題がある。私に良いものを作れる自信はなく、絵を描いても、歌を作っても下手ということである。

勇気を出した書いた模写や字をSNSにアップすると、絶賛の嵐

これは母親に「あんたって何もできないよね」と言われ続けてきたことが原因である。自分が楽しくて、自信を持ってやったことを、母親に一番に見せたくて、見せても褒められることは少なく、否定的なことが多い。

母親に一番に見せて褒められたいという思いが変わることなく、その回数が増えていく度に、歳をとるごとに、私は消極的になっていく。
高校一年生の頃、初めてスマホを買ってもらって、流行りのSNSを始めた。TwitterやInstagramで自分が投稿する度に友達からいいねをもらえることが嬉しかった。

そして、ある日勇気を出して、私が描いた模写や丁寧に書いた字をストーリーに載せると、友達から「すごいね!上手だね!」といった絶賛の嵐が沸き起こる。
一番嬉しかったのは、友達の誕生日に友達の好きな曲を耳コピして弾いた動画を友達に送って喜んでもらえたことである。

喜んでもらえたことが嬉しくて、もっといろんな人に聞いてもらって「すごいね!」と言われたくて、TikTokに動画を投稿すると30いいねと「うまっ」と言ったコメントをもらうことができた。

私のために好きなことをして、人のために喜ばれるようなことがしたい

この時私は、「私を肯定してくれる人が世の中にはいる。私の能力は無駄じゃないんだ」と思うことができた。何かを自分の手で作ることはできなかったが、それでも良いんだと思えた。とにかく何でも挑戦してみて、経験してみることが大事なのだと気づけたのである。

ある時、著作権が問題になっていることを知り、SNSに載せていた全ての楽曲を削除した。「人のものではダメだ、自分の力でやらなくちゃ」とこの時決意した。自分の力といっても私に何かを作ることはできないと思い込み、私はだんだんSNSから離れていった。

有名人のSNSを見て、何か自分を発信している人、ファンがいて毎日が生き生きとしている人、芸能のお仕事をしている人を見続けた。
羨ましい、私も行動しなくちゃ!と思うものの、私が一歩踏み出すことはなかった。

時が過ぎたある日、私の好きな占い師さんが、「下手で良いから、好きなことをやりなさい」と言っていた。私のことを見ているかのように、私が欲しい言葉をくれたのである。
未来が見えなくて、将来ニートになりかけていた私に希望の言葉をくれた、そう元気になることができたのだ。

私は自分のために自分の好きなことをやって、人のために人に喜ばれるようなことをしたい。そのために、私は前を向く。未来に向かって進んでいく。今頑張ることができれば、未来の可能性は広がっていくから。
未来で夢が叶うことを想像すること、これが私の今の毎日の元気の源である。