元気になるには何をすればいいのだろう。運動やゲーム、歌う事。人それぞれエネルギーをチャージする方法がある。
私は「友達と話すこと」。中でも、話していて一番元気になれる人が2人いる。
彼らとは去年の8月に知り合った。趣味でやっているゲームの人集めをしていた時、別の知り合い経由で紹介された。

会話が尽きたときの沈黙も、この2人なら心地よく怖くない

実は、そこからどうやって仲良くなったのかあまり覚えていない。いつの間にか意気投合して、毎晩のように通話をつなげるようになった。そこまで大体1か月。距離の詰め方がおかしい。
私は人と話しているとき、沈黙を苦痛に感じるタイプだ。全員が黙ってしまった時のあの空気感。話し始めないと、話を繋げないと、と必死になって話題を探してしまう。
友達ができた時、初めは話すことがたくさんある。自分のことも、相手のことも。互いをよく知らないから、話の種は尽きない。
話の種は仲がいい友達であればあるほど尽きやすい。話す回数や時間が多ければ多いほど、種はなくなっていく。そうなると恐れていた沈黙が訪れる。ずっと黙っていたら嫌われてしまうのでは?という恐怖から、なんとかして話を紡ごうとしてしまう。
さて、もちろんその2人との会話でも沈黙は訪れた。いつ頃だったかは覚えていない。頻繁に話していたのに、話の種はなかなか尽きなかった。3か月、もう少し持ったような気がする。それでもいつかは尽きてしまう。恐れていた沈黙が、場を支配した。
心地よかった。怖くなかった。3人とも黙ってしまい、時折聞こえる生活音を聞きながら、だらだらとそれぞれ好きなことをしている。
例えるならば、小学生の頃に友人の家に集まって各々好きなことをしている空気。会話がなくても、彼らはそこにいてくれた。それがとても嬉しかった。

居心地がよく、「私」を見てくれる2人は最愛の友人

話している時間は大抵深夜だ。昼夜逆転している2人とは違い、私はよく通話したまま眠ってしまう。そんな時、大抵の友人が通話を切ってしまうのだ。
寂しがりの私にとって、目が覚めたら誰もいなかった、という状況は軽く絶望してしまう。それが嫌で意地でも起きようとしていたこともあった。
2人は違う。私が眠ってしまっても、通話を切ることはなかった。それこそ朝まで!
目が覚めて、ぼんやりした頭で少し会話して、また眠る。そのような夜でも、とても満足していた。
彼らと話しているのはとても楽しい。考え方が似ているようで少し異なるから、時々意見がぶつかることもある。
私は普段、喧嘩をしたくないから自分の意見は飲み込んでしまう。喧嘩して、そのまま離散するのが怖い。
しかし、彼らには本音が言える。彼らは、この程度で離れたりしないだろうから。そう思えることが心地よく、頭ごなしの喧嘩の末に最終的に意見の交換に発展してくれるから嫌われることを心配しなくていい。
自分と異なる脳が生み出した思考は、とても新鮮で私の考えを揺るがす。心地よい。窓を開けて換気している気分だ。喧嘩も会話も、全て含めて楽しい。
人と会話していてこんなに楽しく感じる相手はこの2人しかいない。居心地がよくて、私を主張できるのも、この2人しかいない。
落ち込んでいたり、気分が悪かったりしたときも、2人と話せば元気になれる。後ろ向きになっていた思考も、また前を向いて歩きだせる。
私にとって、最高の友人だ。私に元気をくれる、最愛の人々だ。

名前や顔を知らなくても、かけがえのない親友になれる

実はこの2人とは直接会ったことはないし、名前も顔も知らない。
インターネットのつながりは、現実の人間関係よりも冷たく思える。しかしその冷たさが逆に心地よい場合もあるのだ。
冷たい関係であるほうが、仲良くなりやすい人もいる。確かに顔の見えない相手は怖い。気を付けなければ利用されるかもしれない。しかしそれは顔が見えていたって同じことだ。人は誰だって、信用してはならない。
それでも、私は彼らを信頼している。退屈を感じない、一番話していたい人たちだから。何をやってもストレスになって、元気になれなかった私がようやく見つけた、元気をくれる人たちだから。
ありがとう。願わくば、この友情が長く続きますように。