二年近く続いたバイトをやめた日の帰り道、明日からどうしようという焦りや不安で、歩くよりも、泣きながら走っていた。ただただ、涙でぼやけた前だけを見て、走っていた。
生活はそんなに楽ではなかった。
同僚の言動に対応しきれず、一年もたたずにアルバイトを辞めた
ひとり暮らしを始めて、わずか一年もたたずにバイトをやめるとも思ってもいなかった。
あたりまえのように勤めていたバイトは、同僚の言動に対応しきれない私の弱さにより、あたりまえではなくなった。
同僚の言動は、たとえ面接で辞めた理由として伝えても「それだけで辞めたの?」と言われてしまうのかもしれない。
けれど私には、とても耐えきれるものではなかった。
シフトが重なるたびに、「社員みんな消えろ、死ねばいいのに」。そんな言葉を隣で聞くことが、気づけば私の仕事になっていた気がする。
正直、同僚がうらやましかった。
実家暮らしでご飯は用意され、洗濯は母親任せ。
施設育ちの私は親に頼れず、「ひとりで生きていく力をつけなさい」と小学生のころから言い聞かせられていた。
どうしても比べてしまう。自分の弱さが招いているのだ、強くならないと。
そう言い聞かせるたびになぜか、バイト先でやりたい放題の同僚に蹴りのひとつふたつを入れたくもなった。
そんなにも悪口を言いたいのなら優しい親に聞いてもらえばいいのに……。
何度も、同僚に笑顔を向けながら思った。
言われた言葉は全部流しなよ!上司にかけられた言葉に絶望した
昔から断ることや頼ることが苦手だった。
それもあってか、後輩に謎のマウントをとられたり、上から目線でものを言われたりすることも多かった。
それでもこのお店のために、自分の経験や生活のために、出来ることはないか?とどうにか耐えてきた。
同僚のことを上司に相談した日のこと。
一通り話をして、聞くことがしんどい、辛い、死ねや殺したいなんて言葉を毎日聞くには、相手をするには荷が重い、そう伝えた。
上司はたまに頷きながら「大変だね」と言葉を挟んでいた。
わかってもらえるか不安だった。
他の同僚たちは、「死ねとか殺す?そんなこと言われたことありませんよ」と言っていた。
きっと、言い返さず、まぁまぁ……となだめることが精いっぱいの私だけに言っていたのだろう。
上司にかけられた言葉が、世界の終わりか?ってくらい絶望的なバイト生活の未来を見せてきたことを覚えている。
「あなたになら何でも話せるんだよ、きっと。よかったじゃん。もし嫌なこと言われてもさ、全部流しなよ!」
お前、何の話してるか分かってんのか?流せって……そうめんの話してんのか?ってくらい、怒りの感情を体内に抑え込んだことも覚えている。
たまたま聞こえた花火の音。「よくやった」と励ましてくれているよう
あの日私は、この人たちに心から協力をすること、心の距離を縮めることをやめた。
いや、多分、止まった。
そんなことが出来なくなるほどに、足が進まなくなった。
バイトをやめる日まで全力を尽くした。
最後まで自分がやり切ったと思うためだけに、担当の仕事も追加給の支払われることのない自宅でのポップ作りも、真剣に取り組んだ。
アルバイトという肩書が涙で消えていく。
ただのアルバイトは、ただの無職になる。
踏み出せない足を必死に動かし、帰宅をして一番最初に鏡に映った私の顔が、見たことがないくらいにスッキリしている気がした。
瞼の重さもボロボロに落ちてしまったメイクも、なぜかスッキリしているように見えたなんて、きっと変なのだろう。
これはたまたまなのだけれど、今、暗くなった外で花火の音が聞こえる。
だけど、このたまたま鳴った花火の音が、よくやったと自分を励ましているように聞こえた。
今もあのバイトを続けていたらきっと、この花火の音がいい音には聞こえなかったのだと思うと、無理やりかもしれないけれど、バイトをやめてよかったと思えた。