「あっ、マスク持ってくるの忘れた!」
その言葉と共に私は慌ててバッグの中を探る。
「大丈夫だ。おっか持ってるから」
と、母は私に新しいマスクを手渡す。
「ありがとう!助かったよ」
このようなやり取りが日常茶飯事となった2020年。世界はすっかり変わった。
実際、私は販売員の仕事の解雇を言い渡され、現在も求職中だ。28歳の一人暮らし。焦燥感と自己嫌悪に駆られた私はとうとう心身のバランスを崩し、ベッドに伏せる日が多くなった。けれども幸い、実家は同じ市内にあったので、母が様子を見に来てくれたり食料の調達もしてくれたりして、本当に助けられた。一方で、家族や友人と離れて暮らす世界中の人々に対して心苦しく思ったりもした。
家にこもる生活の中で、私の心の拠り所だったのは必然的に読書。読書といっても小説というよりは主に詩集だ。家から近い図書館へと足を運び、本棚にずらりと並ぶ詩集を吟味するのは幸せなひと時だった。
同時に詩の創作も自分の生きがいであった。
この鬱屈とした世の中と自分の気持ち。もともと友達が少ない私は、いつの間にか自分さえ良ければいいと思うようになっていた。
あっという間に夏は過ぎていき、すっかり季節は冬へと移り変わりつつある。その頃になると、私は体調を考慮し実家に寝泊まりすることが多くなっていた。
猛烈に詩が書きたくなった、早朝のできごと
ある日のこと。いつもより冷え込んだ早朝、新聞を取りに出た母が帰ってきて、
「もう葉っぱに霜が降りてたよ」
とほほ笑みながら言ったので
「これから冬になるんだね」
と私は当たり前のように答えた。それから時間を置いて、何気なく
「晴れたら霜は消えちゃうかな」
とつぶやく。
その一言がなぜだか自分の心にこだまする。
寒さのなかでみえる景色が妙に儚いのは、なぜだろう。それは私たちが心の鏡を見たせいだからなのだろうか。
ふわふわした綿毛のような霜。それを脱いだのなら今度はきらきらと葉を輝かせ、そして枯れていくだろう。
母との会話をきっかけに私は猛烈に詩が書きたくなった。
今だからこそ、みえるもの。今だからこそ、輝いているもの。現在や未来に託したいこと。惜しみのない生命力を全身で伝える葉っぱや木や自然たち。そんな思いを詩に表現したくなった。
「私も霜を見てくる!」
母にそう伝えて、急いで外へと出た。田舎なので町は静まり返り、やはり寒く、吐く息も白い。それでも私は全身で冷たい空気を大きく吸い込み、吐いた白い息の行方をまるで自分の分身のように思いながら見守った。体の内部が洗われた気がした。
詩を通して表現したい「今」
私はかねてから自分の詩集をつくるのが夢だった。けれど現実は厳しく、思うようにはいかないことのほうが圧倒的に多い。正直、そんな世の中を窮屈に感じてしまい、後ろ向きな考えに陥るときもある。
でも言いきかせる。
今だからこそみえるものがある。今だからこそ輝いているものがある、と。
それはとても危なっかしくて、儚くて、柔らかい心の部分なのかもしれない。きっと私自身も葉っぱと同じようなものなのだ。
私を覆う霜は美しくもあり滑稽でもあるのかもしれない。そんなことを自分に言いきかせてみると、卑屈になりかけていた自分の気持ちが和らいでいく気がしてくる。
私は詩を通して伝えたい。生きることの切なさや力強さや喜びを。
ありふれた言い方だけれど、言葉には力がある。きっと力のある言葉は、私がそうであったように、書いた人の顔を知らなくても味方してくれるはずだ。
2021年。季節のように照らしては吹き付ける「現実」をしっかりと踏みしめて、「今」を表現したいと思っている。