「弱い人が心の病になるんじゃなくて、強すぎる人が心の病になるのよ」
私にやさしくそう声をかけた人がいた。

受賞してから「皆さんのおかげです」を呪文に、より一層働くように

すっかり世の中の働き方も変わった頃、平日の昼だというのにわたしは自宅の机に突っ伏して居眠りをしていた。
目の前には画面が明るいままのパソコン、右手にはマウスを握っていた。外れかけのイヤホンからは作業用のBGMが流れている。

最近まともに身体が動かないのだ。身体、というより脳みそも心も含めたわたしの細胞すべてが何かに取り憑かれたような様子だった。
きっかけはない。ただ、新人賞をもらった2~3ヶ月前から足元がガタガタと崩れるように私自身が壊れていったように思う。

「すごい、おめでとう」
「獲ると思ってたよ」
「さすがだね」
「これからも期待してるよ、頼むな」

わたしは全社員の前でスピーチを読むことになった。
「栄えある賞をありがとうございます」。そして、「これは私の成果ではなく、上司やチームの方々のおかげだと思っています」と。

マイク越しに聞こえる自分の声をよそに、誰かのおかげにしなくちゃいけない受賞ってなんだか窮屈だなぁと思った。同時に、その思いを晴らせないままテンプレのような言葉を並べてしまう自分にも少し呆れた。

期待と不安と代名される賞を受けて以来、「それなりにできる奴」から「同期で1番できる奴」になったわたしは、「皆さんのおかげです」を呪文に、パソコンに向かってより一層の思いを込めてタイピング音を奏でるのだった。

いつしか、頬に伝う涙を感じながら仕事のメールを打つようになった

明日を迎えることが億劫になるまでに、そう長い時間はかからなかった。それでもあれだけ「来るな」と願った明日は平然とやってきて、そしてわたしも合わせて平然とした顔で会社へ向かうのだった。

アスファルトで照り返される太陽の光が、わたしの顔を前に向かせ両足を交互に動かせた。
パソコンを立ち上げてメールボックスを開くと、20件を超える未読メールがある。昨日21時に0件にしておいたのにと思いながら、みんなも同じように大変なんだなと1つ1つメールを開いていった。

「お世話になっております」
「お忙しいとは存じておりますが」

お世話をしている覚えもないし、お忙しいと知らせた覚えもないし、なんていちいち考えては溜息が出た。

「休日は何してたの」と気をきかせる上司に、「あ、映画とか観てました」なんて答えてみる。実際のところは、起きたら土曜日の夜で、日曜になると月曜からの5日間を思って体が動かなくなるのだった。

次第に、始業時間が近づくと動悸が止まらなくなって、仕事のメールを打っていると頬に涙が伝うようになった。最近、情勢に対応したうちの部署がリモートワークへ切り替えになったことに感謝の念しかなかった。私が壊れゆく様を誰かに見られずに済んだのだ。

精神科に行くと適応障害だと言われた。おわった、と思った。
どうしたらもっと応えられていたのだろうか。どうしたらもっとちゃんとできていたのだろうか。どうすれば今から取り返せる。どれだけやれば戻れるのか。

仲良くしているお客さんからの電話。言われたセリフに流した涙

どこから間違ったのだろうと考えては、ベッドに沈む身体に抵抗することはできなかった。
ごめんなさい、ごめんなさい、と誰に謝っているかも分からないままに、私は乖離する身体と心に嘆くのだった。

それでも「まだ動く」と駄々をこねる私の中の弱虫は、仕事を休む選択をしなかった。いや、正確に言うとできなかった。私からこの鬱々とした日常すら奪われてしまったら、私には何も残らないのだった。ここで頑張れない私は、今よりももっと弱くなってしまうことに恐れていた。

そんなことを考えていると、メールが一通届いた。仲良くしているお客さんが担当変更になるらしい。すぐに電話をかけた。

「すみません、私も今かけようとしてました」
1コールで電話に出てそう言われた。
「異動とかですか?」
「いや、実は休職で」
「えっ」

いつもちゃきちゃきと仕事をこなす人だった。仕事の連絡は早くて、やり取りもロジカルで、それでいて気さくな人だった。

「びっくりしました?」
「あ、いや、はい」
「あのね、弱い人が心の病になるんじゃなくて、強すぎる人が心の病になるんですよ。私みたいに手を抜くのが下手なタイプ(笑)」

話を重くしないように笑ってみせるところが、そのセリフをより一層説得力のあるものにした。そして最後に、「どうかお互いね」と意味深な言葉を残して電話を切った。
受話器を持つ手が熱くなって、頬には何本もの滴が伝った。その滴が心に染み渡って、これまでの何倍も、何倍も、涙を流した。

次に願ってもない一日を迎えた朝、私は上司に電話をかけた。