生理で毎月やってくる不調の波。波に抗うのではなく乗ることも大切

いつからか、私の「元気」は生理に左右されるようになった。約1か月の女性ホルモンのサイクルのせいで、体も心も最悪な状態になる時期が毎月必ずやって来る。
体の方は、まず腰が痛い。頭が痛い。だるい。眠い。急に重力が大きくなったかと思うような体の重さと、朝起きた瞬間から疲れているみたいな感覚。いつもより元気なのは食欲だけだ。
心の方はというと、普段なら気にならないような些細なことでイライラする。落ち込む。集中できない。無気力。ひどい時は、夜、何があったわけでもないのに急に泣きたくなって涙が出る。いわゆる排卵期あたりからこんな調子である。
そして、生理が始まれば最初の数日は生理痛。子宮を取りはずして洗い流せたらどんなにいいだろうなんて、ありもしないことを考える。それが治まってきたと思ったら、終盤は締めつけられるような頭痛。『西遊記』に出てくる孫悟空が、頭につけているあの輪っかを締められたらこんな感じなのだろうか……という謎のシンパシーを感じる。
ようやく生理が終わると、しばらくは調子がいいものの、1週間ぐらいしたらまた排卵期がやってきて……の繰り返しである。どうやら、私の1か月は実質1週間ぐらいしかないらしい。というか、もはやその1週間の私が本当の私で、あとの3週間が異常なのか、調子の悪い3週間が私の真の姿で、調子のいい1週間が異常なのかすら、よく分からなくなる。
一応病院に行ってみたものの、特に病変があるわけではないらしい。病気がないのは結構なことだが、特に治すものがないため、この不調ともおさらばできない。そう考えると「これが原因なのでそれを除けばよくなります」と言ってもらう方がよかったと思ってしまう自分がいる。
さらに厄介なのは、月によって調子の良し悪しが違うということだ。上に挙げたようなことがほぼフルコースでやって来る月もあれば、一部の不調ですむこともある。不調そのものも面倒だが、元気な時とそうでない時の差や、不調の現れ方の差に疲れる。自分で自分の心身に振り回されているなんて、あまりいい気分じゃない。
ただ、こういう状況に置かれ、私は今まで以上に自分の心身の調子と向き合うようになり(というか向き合わざるを得ず)、しだいに調子が悪い時期はそういうものとして受け入れた方がいいと思うようになった。
鞭打って頑張るよりも、「今日は調子が悪いからこれだけできたら上等!」と潔く諦める。
心の元気がなくなっている時は、「ダークネス週間に突入!」とか「闇堕ちモード発動!」とか思ってみると、「ぷっ」と笑えたりする。
月によって不調のタイミングが違う時なんかも、「やぁやぁ、今月は遅かったじゃないか。まあ、もう一生来てくれなくてもいいけどね」と迎え入れてみる。無理に元気になろうとするよりも、調子のいい時も悪い時も「今、そういう時期ね」と可愛がってやるぐらいの方が、結局はいい感じに過ごせたりするのだ。
心身の調子に波があるのは、仕方がないこと。だったら、その波の様子をうかがって、乗っかってしまえばいい。全ての波に乗ることはできなくても、抗おうとするのとは違う感覚を見つけられるかもしれない。そういうスタンスでいることが、私が「元気」のために心がけていることだ。
そうするには、波乗りを許してくれる環境も必要だ。今の社会では、基本的にいつも同じ質のパフォーマンスができることが前提になっているように感じる。そんなんでは波に乗ったら損をすることになるので、なかなか乗ってみようという気にはなれない。
もちろん、そういう状況で問題なくやっていける人もいる。女性だって、みんながみんな調子の波が激しいわけではない。いつも同じように仕事や勉強ができる人もいる。
だが、少なくとも世の一定数の女性は、「いつも同じ」にするためには自分の体や心の波と闘わねばならない。それは思いのほかしんどかったりする。そのせいで諦めなくてはならないこともあるかもしれない。
女性の社会進出なんかの話で、数やら制度やらの議論はよく耳にするが、こういうもっと日常的なところにも壁があるんじゃないだろうか。私たちが元気でいるためには、一人一人が何とかしようとするだけじゃ足りないのかもしれない。波に抗うことをやめてみて、そんなことを考えるようにもなった。
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