歩みを止めるときっていつだろう?
目の前に危ないもの、避けなきゃいけないものがあったとき、
走り過ぎて息が苦しくなったとき、
歩きながらじゃできない、大事な何かがあるとき、
私たちは止まる。

私たちは自分を守るために「立ち止まること」を選んでいると思う

横断歩道とか、マスクした状態での体育の授業とか、考え事しながらだとたまに駅のホームで肩ぶつかる。
たぶん、レベルの大小はあっても命の危機に瀕したときには必ずそうするんだろうな、人間は生き物だから。
きっと、遺伝子的にとか生物学的に、私たちは自分を守るためにそうする。

その理論を自分の中に落とし込もうとしても、その無理矢理がんばってる感がかえってバツが悪いのか、どうしても残る、このもやもや。
そういえば、浮気相手は歩美ちゃんって子だったなぁ、なんて思い出す。

2年近く付き合って、8ヶ月同棲した彼との、あまりにも情けなくありふれた別れ。
出勤すれば毎日過度にいじられるか、説教されるかの社内恋愛の末路。
付き合ってれば、「お前らなんで付き合ってんの?あいつのどこがいいの?」

別れれば、「社内恋愛したのお前なんだし」。

ストレスは溜まるけど、他所をしらないから、どちらかといえば良い会社なのだろうとこれまたお得意の術で、自分を納得させた気になっていた。もやもや。

生活全てにまっすぐ一生懸命でありたいだけの私とそうではなかった彼

私は社会人になって二ヶ月目には彼と付き合っていた。
大人というフィールドで幸せを掴もうと必死なだけだった。
今となれば思い出の類だが、成績優秀だった彼の営業方法を真似たのも、
土用の丑の日に奮発してスーパーで買った鰻をいっしょに食べるのも、
飲み会終わりにどちらかの家にそのまま帰るのも、社会人らしく生活を整え、生活の全てに一生懸命でありたいだけだった。

お互いの家の更新時期が近づくと自然な流れではじまった同棲もコロナでリモートワークとなれば画面越しにサボる彼を横目に、仕事には真面目だった。
仕事“には”じゃない、恋愛も、社内の人間関係も、たまには実家に帰って家族を大事にして、私は何もかも一生懸命だった。

だらしない、歩きタバコ、歯磨きは気分次第、粗大ゴミの不法投棄、バイクの駐車料金ケチって路駐は日常茶飯事、同棲解消時の荷造りは全部私がやるくらい、な彼でも愛おしく、必要とされたくて何でも頑張った。

私が取引先のモラハラに耐えられなくて処構わず泣きじゃくってた時「そんなに嫌なら会社辞めなよ」と冷たく突き放されたのは、元々あなたが他人に興味が持てない人だったなんて、
地震が起こったときの「大丈夫?」のLINEの送信先は私ではなく別の女の子だったなんて、
私が実家に帰るたびに浮気を重ねてたなんて、
社員旅行でじつは現地の風俗行ってたなんて、
しかもそれを知ってた同期も上司もいるなんて。

頑張ることをやめないと息苦しくて…私が私をやめてしまいそうだった

おかしい。
一生懸命なだけなのに、なんでこうなったんだ。
でも、おかしくなりかけてたのは私かもしれないと、別れる半年前に気付き出したのは内緒。

社会人、大人の世界には、まだ私は早すぎたのかなと思った。
「子供じゃねぇんだから」って何回言われただろう。
でもそんな事は考えてる暇のない、私はもう25になった。
メグ・ジェイの「人生は二十代で決まる」というタイトルに殺されかけながらも読破した。

きっとあの時、危ないもの、避けなきゃいけないものが確かにあった。
彼と付き合い続けたらきっと我慢ばかりで心が擦り減る一方だった。
子供呼ばわりされるのも、本当は癪だった。

いろんなものに突っ走ったら息が苦しかった。ほんとうに、苦しかった。
誰も水をくれないから、自分で汲みに行った。これが大人か。

あれもこれも、しながらじゃできない大事な何かって、きっと、自分を大事にする事だ。
がんばることをやめないと私が私をやめそうだった。
水はもう手に入ってる。
たぶん私はもう、また歩き出せる。
私はもう、大人だ。