心の奥底の思いを言葉に乗せる。はじめた「わたし」との交換日記

小さいころからそうだった。
内向的。シャイ。人見知り。友達を作ることが苦手。人と話すことが苦手。
心を許せる親友は片手で数えるぐらいしかいない。
「ポーカーフェイス」と言われることは日常茶飯事。
本音を話すことは友人にも家族にもあまりできない。
自分の心のうちを明かせるのは「自分」だけだった。
今現在、私は30歳間近のいわゆるアラサーという領域に突入している。生ぬるい学生生活から抜け出し、社会という大海に飛び込んで約4年たつ。ずっとつきたい職業に念願かなって就き、現在に至るまで同じ職場で働いている。
しかし、つきたかった職であるのに、働いていく中で徐々に「なんでこうしなければならないのか?」「どうしてこんなことになったのか」などいろんな不安や不満が募っていき、働ける喜びよりも、なぜどうしてという負の感情が上回るようになっていった。
このようなことを家族や友人に相談できれば、自分の肩の荷は少しでも軽くなるのかもしれない。
もういっそ不満なのであれば、辞めてしまえばいい。
そうは思うものの、誰かに相談する勇気もなく、自分の進路を絶つ勇気もなかった。
気持ちを閉じ込めてしまえば波風は立たない。自分の気持ちなど二の次でいい。
やがて自分の心の容量が満タンになって、涙が自然とこぼれるようになっていた。
体調も崩すようになり、限界を迎えて仕事を休んだある日、さすがにこの状況はどうにか出口を見つけなければならないと思い、ぼーっと窓の外を眺めながら解決策を考えた。
今でもその日を覚えている。
あれはとてもよく晴れた昼過ぎで、風も強くカーテンがとても揺れていた。
ふと目に入ったのは、自分の大好きなキャラクターが描かれた書きかけのノートと、使い古したシャープペンシルだった。ただの落書きから始まったが、思い切って並べた文字たちがどんどんあふれ、「自分」の気持ちを投影した言葉が紙の上にひしめいていた。
罫線はすべて無視して、何にもとらわれず書けるだけ自分の思いを書いてみた。
すると、なぜだろうか、書き終わったころ少し楽になった。
こもっていた檻の開かずの鉄格子が突然開いて解放されたような気分。深呼吸するとなんだかすがすがしい気分。ペンは剣より強し。まさにそんな感じだった。ルールも何もない自分のノートに対してはなんでもさらけだせた。
何事にも不器用な私は、この日をきっかけに「エッセイ」という形で自分自身と向き合って文章を連ねるようになった。
まさに交換日記。交換相手は自分、といったところだろうか。
「今日はいい天気だった」
「今日はなぜか怒られた。むかつく」
「今日は何事もなくいい一日だった。幸せ」
自分の心の奥から生まれ出てきた思いを言葉に乗せて、対話を続けた。
今もなおその「交換日記」は続いているが、日にちが1週間あいていたり、その日の天気だけしかなかったりする日もある。何ページにもわたって超大作の日もある。字体もまばらだ。
でもそれでいい。相手は気まぐれな悩める羊なのだから。
エッセイを書いたあと。
光のさす方にまた一歩踏み出した。
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