私の父は、口数が少ない。基本的に愛想がない。テレビを観てもあまり笑わないし、お世辞で物事を言うタイプでもない。“子煩悩”という言葉があるが、真逆の父親だ。

それもあってか、私は父親と会話を頻繁にすることも多くなく、質問されたことにただ応えるような淡白な関係性である。

だけど実は、とても優しく、おせっかいすぎるくらい一人娘の私を心配する父親だ。

手紙やメッセージを送ることが苦手な父と「交換日記」をしていた

実家から離れて地方で一人暮らしを始めることになった4年前。一緒に家探しに付いてきたのは母ではなく、父である。一人暮らしをスタートする際は、注意事項がびっしり、ワードで作成されたメモを渡された。

“まめなお父さん”であることが、これだけでも分かるが、意外に父は頻繁にLINEをしてくるわけでもなく(というより、LINEというアプリすら携帯にダウンロードしていない)、メッセージが送られてくるのは、誕生日や父の日にプレゼントを送ったときのお礼のショートメールくらい。しかも、お礼と身体に気を付けて、と書かれたとても短いメッセージ。母曰く、LINEやメールは面倒なようだ。

手紙やら、メッセージを送ることがとにかく苦手な父と、いつ頃だっただろうか、交換日記なるものをしていた。うさちゃんのイラストが描かれた茶色っぽいノート。どんなきっかけから始まったのかも覚えていない。

父は、私が子どもの頃、とてつもなく仕事人間だった。朝は私が起きる頃に家を出て、夜もいつ帰って来たのかも分からないくらいの遅い時間まで働いていた。夕飯もほとんど共に食卓を囲んだ覚えがない。自分が社会人となった今、ここまで働き過ぎていた過去の父親が心配になる。

普段はクールなお父さんだけど、交換日記では優しかったのを覚えてる

そんな仕事の忙しい父と、私は会話をすることがなかったからか、日々学校であったことや友達とのあれこれ、習い事の話などを、ノートに書いておくと、数日後、お父さんが返事を書いてくれる、というやり取りをしていた時期があった。交換日記だ。

どのようなやり取りをしていたかも全く覚えていない。だが、お父さんの返事はいつも赤のペンで書かれていて、たまにイラストも入っていた。「忘年会で食べた焼き鳥が美味しかったよ」とイラスト付きで書かれていたことは、あまりにもチャーミングで、それだけは色濃く覚えている。

普段はクールなお父さんからは想像もつかないくらい、交換日記でのお父さんは優しかった。私は、お父さんから返事が届いているのを見るのが楽しみだった。

父は覚えているかわからないけど、いつか聞きたい。いつ、交換日記の返事を書いてくれていたのだろう。どんな気持ちで書いてくれていたのだろう。仕事から遅く帰ってきて、家でビールを飲みながら、返事を書いてくれていたのかな。

少なくとも、娘とのコミュニケーションが父も楽しいと思ってくれていたのだろうか。いつから、どれくらい、続いていたかも覚えていない交換日記のこと。ずっと聞きたかったけど、未だに聞けていない。

父は誰よりも私を愛してくれている。その「全力の愛」に感謝している

私は、この父との交換日記のやり取りのことを、自分がパートナーと結ばれ、家を離れることになったときに、父への感謝とともに伝えたいと思っている。

私は父が涙を流した姿を見たことはないが、母曰く私の卒業式等の場で、こそっと目元をぬぐうような父だ。大学受験のとき、私の代わりに第1志望の試験会場へスムーズに向かえるように、乗り換え方法や、最寄り駅の雰囲気等を細かいくらいに下調べをしてくれるような父だ。ポーカーフェイスだが、人一倍、娘想い、家族想いの父だ。

私も父の前では、ポーカーフェイスの可愛げのない娘である。だけど、父は誰よりも私を愛してくれていることを知っていて、その全力の愛に感謝している。クールだからこそ、光る愛だ。

いつか、そのときがきたら、お父さんとの交換ノートをしながら感じていた想い、“父に実は伝えたいこと”を正直に打ち明けたいと思う。