これだけSNSで「カワイイ」のお手本みたいな人たちが溢れている今の時代、みんな多かれ少なかれ容姿にコンプレックスを抱えているものなんじゃないかとは思うけれど、私が真っ先に挙げるとしたら、目の下のたるみだ。

幼いころのアルバムを見ても目元が特徴的にたるんでいて、我ながらあんまり可愛くない子どもだった。
中学に入ったあたりから、目元がもっとスッキリしていたら良かったなと思うようになり、家にいる間はセロハンテープで目元のたるみを抑えたりもしていた。
けれど全く効果はなく、大人になった今もずっとその目元に悩んでいる。

お金を貯めたら絶対に整形しよう、と心に決めていた

特に寝不足の日や生理前などは、ぷっくりとたるみが目立ってものすごく疲れきって老けた顔になってしまう。友達にも「ちゃんと寝てる? クマすごいけど……」と言われてしまって落ち込むこともある。ちょうど今日もけっこうコンディションが悪くて、うーん、やっぱり可愛くない。

どうせ女の子に生まれるならなんでもっと可愛い涙袋を持って生まれてこなかったんだろう、母親みたいに、たるみのない目元に二重幅の広い綺麗な目に似ればよかったのに、と父親を恨んだ時もあった。かつて父親に直訴したこともあったが、父に何ができるわけでもなく困って笑っていた。

だから、お金を貯めたら絶対に整形しよう、と高校生になる頃には心に決めていた。

父が亡くなり、嫌だった目元にちょっとだけ別の感情が湧いた

しかし4年前、病気で父親を亡くして、その気持ちが少し揺らいだ。
一見全然関係ないことに見えるかもしれない。でも変な話だけれど「この目元、お父さんにもらったものなんだよなあ」というのをとても強く感じたのだ。

父は仕事ばっかりの人だったけど、忙しい中でなんとか家族で外食する時間を作ってくれたりして、くだらないオヤジギャグの10回中8回はくだらなすぎて皆に無視されるような、そういうお父さんだったけれど、私はかなり尊敬していた。社会人になってバリバリ働いているところを見せて、「やるなあ」って言ってほしかった。だけど、死んでしまった。

その出来事があってから、それまで、嫌だ以外の感情がなかった目元に、ちょっとだけ別の感情が湧いた。「まだお父さんに活躍している姿を見せられていないのに、この目元をなくしちゃっていいの?」という思いだ。
別に、この目元を残している限り父はまだ生きている、なんて、そんなスピリチュアルなことは思っていない。ただこの目元があるおかげで、自分に父の面影を感じられて、あの努力家の父の娘がこの程度で終わっていいのか!?と自分にプレッシャーをかけられる。

夢中で仕事頑張っていた父親似の目元をダシに、自分にエンジンをかける

実際、2年前に社会人になった私はいまいち仕事を頑張りきれていなくて、私が見ていた、必死で仕事をする父親の姿に遥か及ばない。
要は私は、仕事を頑張れずむにゃむにゃ生きている自分に対して、父親似の目元をダシにしてエンジンをかけようとしているのだ。

整形して可愛くなるなら早い方がいい。努力することと父親似の目元にはなんの関連もない。
そうはわかっていても今は、整形は少しだけ先延ばし。

もう父に十分活躍を見てもらえたかな、自分に納得できたかな、と思えたら整形もまた考えるだろうけれど、しばらくはこの目元をモチベーションにして、父のように仕事を夢中で頑張れる自分になりたいと思う。