自分の気持ちを我慢しない。頑張りすぎていた私が知った適当の大切さ

その時の私は21歳。
まだ友人は学生をしていて、遊びに行く時、私だけが学割が使えないことさえちょっぴり寂しかった。
高卒から社会人になって、丸3年。今思うとまだまだ子供だった。
私の職場はスーパー。主な業務は接客とパートアルバイトの教育。
ありがたいことに、会社での私の評価は良くて。私は新店舗への異動が決まった。
初めて携わる事務仕事、シフトの管理、新しく増えた業務、他店舗とは違う形態にすら戸惑う。
そこに決まって加わるのはパートの人間関係。
今まで上手く出来てたことが、ちょっとずつズレていく感じ。
元々、私は仕事が出来る方でも器用でもなくて、今の評価だって私なりの努力の末のもので。そもそも新入社員の時の私の評価はビリ。いつだって人並み、になるのさえ一生懸命だった。
今は辛くても、今を頑張ればこの日を笑ってる日が来る。
今はしんどくても、踏ん張ってここで覚えてしまえばきっと楽になってる日がある。
今までだってそうだったんだ。
泣いてる時間さえもったいない。
出来ないのは、きっと私の努力が足りないから。頑張りが足りないから。
パートさん達の愚痴を聞いて、悩みを、不満を聞いて、上司との間を取り持って、人間関係の修復にも努力して。
だけど、ちょっとした歪みはどんどん大きくなって、泣きながら、お世話になりましたというパートの姿を見た時、もっと上手く出来なかった自分の責任のように感じた。
ぽろぽろとこぼれ落ちるみたいに辞める人。
上司は自分の仕事に手一杯で、パートのケアなんてお構いなし。
連携すらろくに取れてなくてみんなバラバラ。
親ほどの年齢の人達が、何かあると私を頼ってきて、それを守らないといけなくて……。
でも、私は?
私は……誰に頼ればいいんだろうって。
誰かに助けて欲しくて。
でも、そんな奇跡みたいなこと起こるわけないっていうのも知ってたから、立つしかなくて。
足りない人。
どうにかやっとで回してる業務。
責任とか焦りとか、あとはよく分からない不安だけがずっとあって。
耐えられなくなって、異動したいって勇気を出して言った言葉は、何かあれば助けるからって言葉で終わった。
ある日、本社の人が来て、人が足りないねって。
私が同意すると、その人はどうやったら改善すると思う?って。
私は人が増えれば……と先程その人が言ったことをそのまま答えた。
それにその人は、「業務内容を改善したらよくなるよ」って。
息が詰まる気がした。
なにか、糸が切れるみたいな。
こんなにも、私なりにやってるのに、さらに、それを私に言って、この人はどうしたいんだろう。
私はこれ以上、どうすればいいんだろう。
怒られたわけでもなく、理由もわからず、涙が出そうになるのは初めてだった。
とにかく、もういっぱいいっぱいだった。
なんで、こんなに頑張ってるんだろう。
何のためにこんな踏ん張ってるんだろう。
何に、私は耐えてたんだろう。
どうして……。
どうして、頑張りすぎてたんだろう。
ふと、すとんと、そう思った。
それから、憑き物を落とすみたいに髪をショートにして。
部屋のカーテンを変えて。
自分の気分も模様替えした。
分かったことは、頑張るのは大切だけど、頑張りすぎるのは毒だということ。
1人で、じゃなくて。頼れない、じゃなくて。
上手く人に力を借りること。
雑にするのは無理でも、適度に適当になること。
心を、我慢しないこと。
ずっとひとりで辛かったからこそ、今頑張ってる誰かに伝えたい。
適度に適当に。心を我慢しないで。
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