それは、ただの暗闇ではなかった。
きっかけは人事異動だった。前の上司はとても穏和で色々なことに挑戦させ、教えてくれた。いろんな会議に同席させて、仕事を任せて、「あなたならどう考えるか」「あなたならどう判断するか」を失敗も含めてサポートしてくれた。
でも、異動で着任した上司は違った。
睨む、怒る、「俺は聞いてない」「この案件はあなたがやるべきではないから、手を引け」、わたしが席を外してからみんなに話し始め、次第にわたしから業務と情報を遠ざけた。
辞める勇気も続ける勇気もなく、暗闇の中で1年間彷徨い続けた
「わたしはいらない」
そう思いこみ、わたしの心は勝手に歩みを止めてしまった。大好きだった仕事も、やりがいを感じていた日々も、全てが嘘のようだった。
こんな上司あたってしまったことことが悔しかった。みんなもわかってるのにこんな状況でも助けてもらえないことが悔しかった。
でも、一番は、辞める勇気も続ける勇気も出せない、ここで立ち止まり続けてる自分に悔しかった。わたしは暗闇の中で1年間彷徨い続けた。
暗闇の中で、私は自分の本当の気持ちを探した。
何が苦しくて、なぜ、どこで、私は自分を見失ったのか。わたしはどうしたいのか。わたしはなにになりたいのか。
わたしには「本当のわたしの気持ち」がわからなかった。
立ち止まって分かったことは、「いかにわたしがわたしのことを知らないか」だった。
書き出せば心は晴れる、などとどこかの記事でよみ、実際にやってみても、なにも言葉は出てこない。友だちと話しても、もっと大変な友人もいて、わたしの悩みなんか小さいことなんだ、と思わされた。
立ち止まって、前を見てみても、横を見ても、わたしのことはなにもわからなかった。
「なにをしたいか」ではなく、「なにが悲しかったのか」
だから、こんどは後ろを向いてみた。
「なにをしたいか」ではなく、「なにが悲しかったのか」にこそ、ほんとうのわたしが隠れていた。
わたしが求めていたのは、仕事でも、給料でも、評価でもでもない。
わたしにとって、失って本当に苦しかったもの。それはチャンスだった。それは、誰かのなにかに貢献できるチャンスだったり、自分の成長するためのチャンスだったり、つぎにつなげるチャンスだったり。
悔しい気持ちの本質は、「チャンスを奪われたこと」、そして「チャンスを見つけることをやめてしまった自分」だったのだ。
どんなに能力があっても、どんなに努力しても、チャンスを掴むことができなければ、なににもならない。
チャンスがいかに価値があるのか、わたしは身をもって学んだ。
ということは、いまわたしが立ち止まってわたしについて考えている……これも1つのチャンスではないか。
ひとつひとつ考えた。
わたしはなぜいまの会社に入ったのか。
いま会社のどこに未練があるのか。
わたしはこの会社でなにを成し遂げたいと思っていたのか。
わたしの本当の気持ちはなんなのか。
歩みを止めた先はただの暗闇ではなく、新しい自分を見つけるチャンス
今の仕事を続ける決断をした。上司と対話をし、和解し、昇級し、管理職まであともう少しのところにきた。
上司と和解ができたのは、お互い、相手のことを分かろうとしたからだった。面と向かって、「わたしはチャンスがほしい」と伝えた。チャンスを自分から掴み取ろうとした。
上司は、わたしにチャンスを与えようとしてくれた。
チャンスとは時に与えられるものであり、時に自分で作るものであり、時に自分から掴み取っていくものであり、時に人に与えるべきものである。
「チャンスには価値がある。」
わたしは、それぞれのチャンスを守れる人になりたいと強く思った。
だからこそ、伝えたいことがある。
いま苦しくて、心が突然歩みを止めてしまったひともいるかもしれない。でも、それはただの暗闇ではない。自分を知る、自分と向き合う。
それは新しい自分を見つけるための「チャンス」である。暗闇をチャンスに変えるのは自分自身である。