私は大学進学を機に、慣れ親しんだ地元を離れた。私の地元は、特に知名度があるわけでもなく、ただ自然が豊かな、小さな町である。
私はそこで、ある1人の男の子と出会った。
大学生活2年目の夏、今でもふと彼を思い出す瞬間がある。

小学校6年間。ほぼ毎日一緒に下校した彼。思い出す楽しい日々

彼は、唯一近所に住んでいた同学年の友達である。
彼と私は何もかも正反対だった。彼は好奇心旺盛で、楽しいこと、面白いことが大好きだった。細かいことは気にせずに、一直線に突っ走る、活動的な人だった。そんな彼の周りには自然と友達が集まっていた。

対して私は、1人で過ごすことが好きで、勉強熱心、ルールや約束は絶対に破らないような人だった。いつも控えめに、目立たないように、静かに過ごしていた。だからこそ、私は彼を羨ましく思うこともあった。

小学校6年間、私はほぼ毎日彼と一緒に下校していた。まだ幼かったので、男女を意識することなく、ただ家が近いから、という感じだった。
彼は私に、道端に生えている木の葉を取り、草笛の吹き方を教えてくれた。クラスメートの名を順番に挙げ、何とか好きな人を知ろうとしたり、ランドセルの持ち合いっこをしたり、今思い返せば、なんとも小学生らしく、くだらないことをしていたなあ、と思う。学校ではおとなしい私も、その時間だけは、まるで人が変わったようにおしゃべりになっていた。

25分間、私たちは小さな橋から見える川や山、風に乗ってきた花のにおい、鳥や虫の鳴き声、たくさんの自然を感じながら歩いていた。そして彼の家に着いたとき、立ち止まって、ちゃんと目を合わせて、バイバイまた明日、とお別れしたものである。

中学校からは自然と一緒に帰らなくなった彼。会う機会が減っていく

そんな下校中の思い出の中で、今でも鮮明に覚えているのは、ピンポンダッシュである。
小学校の校門を出て、階段を下りた場所にやけにインターホンの目立つ家があった。私たちはそのインターホンを押し、全力で坂を駆け下り、美容院の角を曲がって身を隠した。

しかも、1度だけではなかった。1回目が成功したからと、調子に乗って次の日も、その次の日も繰り返してしまったのだ。
しかし、3回目の時、私だけ少し逃げ遅れてしまった。その時は、しまった、見つかったと思ったのだが、誰も追いかけて来なかったので安心していた。その後、家主から「赤いランドセルが見えた」と学校に伝えられ、バレてしまったのだが。当時の私からしたらかなり勇気のいることだったが、本当にワクワクする大冒険だった。

中学校に入学すると、彼と一緒に下校する習慣は自然となくなった。
私は学校を窮屈に感じていた。例えば、みんなと同じ髪型や服装をしなければ悪者扱いされるような雰囲気があったので、前髪は眉上、運動靴は真っ白、というような細かい校則も、仕方なく受け入れていた。早く家に帰りたいと、学校が終わればすぐに下校していた。

そして、お互い別々の高校に進学したので、そもそも毎日のように会わなくなってしまった。毎年秋に行われる近所のお祭りにも、彼は来ていたようだが、ちょうど中間テストと重なる時期なので、課題に追われて行くことができなかった。
今思えば、早く終わらせて少しの間でも行くべきだったなあ、と思う。

彼は私にとって特別な存在。新しい視点をくれてありがとう

そんなこんなで、私たちの間にだんだん距離ができ、もうしばらく会っていない。
でも、彼と同じ時を過ごさなかったら、私はもっと頭の固い、ド真面目でつまらない人間になっていただろうなあ、と思う。なぜなら、彼は私に、他人の目や結果なんて気にせずに、自分がどうしたいか、どうなりたいかということを考えて行動することが、こんなにも素敵なことだと気付かせてくれたからである。

私に新しい経験をさせてくれて、新しい視点をくれて、本当にありがとう、と言いたい。
私たちは今年20歳になるので、もう小学生の時のようなバカはやれない。だから私は、もっと冒険しておくべきだった、と思ってしまう。

でも、彼はきっと「充分楽しかった!」と言うのだろう。私は大学生になり、さまざまな才能や経験がある人と出会う機会も多いが、憧れると同時に、自分のレベルの低さを実感する。また、留学や資格試験を考えるとき、こんな自分が乗り越えられるのだろうかと、臆病で考えすぎる性格が邪魔をしてしまう。

こんなとき、彼ならどのように考え、行動するのだろうかと考える。決まって、もっと気楽でいいんじゃないか、と背中を押してくれるのである。

私はあの時過ごした時間を一生忘れないだろう。私にとって彼は、今までも、これからも、ずっと特別な存在である。