「お疲れ様です。気をつけてお帰り下さい」
この一言で、私は毎回笑みがこぼれる。
私は高校に通い始めてから、通学にバスを利用するようになった。
自宅から駅まで約30分、朝から歩いていくにはとても億劫な距離。
そんな憂鬱な気分の救世主が、我がふるさとが誇る素晴らしきバス会社である。
多くの同級生が近場の高校を選んでいたのに対し、私は1人、遠くの高校を選んだ。 大学に通いたいという目標があり、勉強面でのサポートが強い、そこの高校に通うことに決めたのである。
元々地頭が特別良いわけではなかったが、努力の甲斐があり、無事合格した。
志望校から合格通知を貰いバスで帰宅すると、「お疲れ様です」と声をかけてくれた。
何気ない一言だが、それまでの努力を労ってくれたようで嬉しかった。
残高不足で鳴り響くピーという音。運転手さんがかけてくれた優しい言葉
苦労して入学した高校、身を引き締めて頑張らなければ。
そう思ったのも束の間、毎日がとても大変だった。
通学時間は言うまでもなく、多くの課題に当たり前のように行われる小テスト、休日のセミナー。予習、復習も欠かせない。
まるで、毎日出口の見えないトンネルの中を駆けているようだった。
そんなある日、事件が起こる。
いつものように朝一番のバスに乗車し、揺られること約10分。
交通系電子マネーをかざし降車しようとした途端、ピーという音が車内に鳴り響いた。
あれ?もしかして、残高不足?
その日は現金を持ち合わせておらず、その場で支払いをすることは出来なかった。
まずい。どうしよう。電車までの時間もない。
不安と焦りと自分の情けなさにショックを受けていた。
そのとき、運転手さんはにこりとした優しい笑顔で私に言葉をかけてくれた。
「いつもご乗車ありがとうございます。料金は後日いただければ大丈夫ですよ。気をつけていってらっしゃい」と。
安堵の気持ちと運転手さんの優しさに、気づいたら笑みが溢れていた。
その後もこのバスを利用し続けた。
「バスの料金は勿体ない」と、歩いて通学する友人も多かった。
しかし、私はあえてバスを利用し続けた。
このバスは、ただ便利なだけではない、心の栄養を与えてくれるのだ。
そんな気持ちで通学に利用し続け、気づいたら大学生になっていた。
上京する友人も多い中、私は地元に残り、比較的通いやすい大学を選んだ。
こんな田舎、離れてしまいたい。都会で洗練された友人が羨ましかった
優しい友人、楽しい授業、初めてのアルバイト。
毎日が楽しくてたまらなかった。
大学生活初めての夏休み、久しぶりに高校時代の友人と会うことになった。
上京した友人は、都会の洗練された雰囲気を身に纏い、まるで別人のようだった。
「今楽しい?」「バイト何しているの?」「大学生活は?」
近況を話しているうちに、充実した都会暮らしを送っている友人が羨ましくなっていく。
キラキラとした都会で、田舎には縁もゆかりもないアルバイトをし、髪色もおしゃれに整え、適当に買ったという可愛らしい服をきた友人が輝いて見えた。
それに比べ、一人地元に残り、都会とはかけ離れた生活をしている私は、何一つ変わっていない。見た目も、中身も。私も上京していれば違ったのかな。こんな田舎、もう離れてしまいたい。自分が恥ずかしい。惨めだ。
つい、そんなことを思ってしまった。
何もない地元の駅。都会のネオンよりも輝く運転手さんの笑顔と言葉
友人と別れ、地元の駅に着いた私はいつものバスに乗った。
何もない景色が目に映る。私はこんな田舎ではなく、キラキラとした都会に住みたい。
つまらない。何もない。こんな場所、もう嫌だ。
気づいたら最寄りのバス停に着いていた。
「ありがとうございます」と言って降車しようとした途端、「いつもご利用ありがとうございます。気をつけてお帰り下さい」という優しい声が聞こえた。
その時の運転手さんの笑顔と言葉はとてもキラキラとしていて、都会のネオンよりも輝いていた。
気づいたら目頭に涙を浮かべながら、自宅へと続く夜道を歩いていた。
そして、私は心に誓った。
もう少し、このふるさとで頑張ってみよう、と。