スケジュール帳が真っ白。そんな2度目の夏休みがやって来た。冴えない日々の中で、毎年恒例だった家族旅行をふと思い出す。

私は大学生で、弟が2人いる。周りの友達は中学に上がった辺りから、親と歩くのが恥ずかしいと言って、家族旅行に行かなくなった。

でも、私の家族は違った。忙しくてもなんとか全員の予定をすり合わせ、毎年欠かさず伊豆の海に出掛けていて、私はそれを密かに誇りに思っていた。旅行のためにわざわざ部活を休んだり、受験生でも勉強道具を持って行ったり……。

家族旅行を断念し、一体いつになったらコロナが終息するのだろう

しかし、コロナウイルスが流行り始めた昨年からは当然、旅行の断念を強いられた。一体、いつになったらコロナが終息して旅行ができるようになるんだろう、いや、終息した頃には私も弟たちも社会人になっていて、予定が合わないだろうな、などと考え出すと、つい感傷的になってしまう。

小学生の頃は1日中海で泳いで真っ黒に日焼けし、くっきりとした水着の跡を作ってしまったり、砂が水着の中に入っても気にしないくらい砂遊びに夢中になったりしていた。

中学生の頃は白い肌に憧れ始め、パラソルの下のビーチベッドで小説を読んでいた。

高校生の時は5時に起床し、ホテルのロビーで新聞を広げながらコーヒーを飲み、まだ誰もいない海辺を散歩して非日常を味わった。でも、浜辺に到着して海が見えた瞬間、つい走り出してしまうのは、いくつになっても変わらなかった。早く海に飛び込みたいのに、足が砂にとられて上手く走れない、もどかしい感じ。

思い出せば思い出すほど、懐かしさと裏腹に悔しさも感じる。幸せは、失った時に初めて気付くものなのかなと思ったりもする。

今までと同じくらい充実した夏休みにするために「新しい事」に挑戦した

そこで私は、今までと同じくらい充実した夏休みにしてやろうじゃないかと思い、新しい事に挑戦した。

まず、料理を始めた。私は身長が高いため、野菜を切ったり皿洗いをする時、腰をかがめなければならなかった。よし、将来家を買うときはキッチン台を高くしよう、と思った。

庭や花壇のお手入れも始めた。しばらくお手入れしていなかった上、今年の夏は雨が多かったため、土が見えないくらいびっしりと雑草が生い茂っていた。すべて1人で抜くのには1週間を要した。

しゃがむ姿勢がかなりきつく、すぐ腰が痛くなってしまうため、途中で何度も休憩をした。その上私は虫が大嫌いなので、虫が出てこないか、常にビクビクしていた。1軒家を持つということは大変だな、と初めて実感した。

新しい事に挑戦し、些細なことではあったが、将来役立つ発見があった

人と人が分断され、暗く狭苦しい世の中でも、今までやったことのないことにチャレンジしたことで、些細なことではあったが、将来役立つ新たな発見があった。コロナウイルスは、与えられた環境、置かれた状況の中で柔軟に適応する大切さを、私に教えてくれたのだと思う。これは、これから社会に出る時に通ずることだ。

今はまだ学生だから、好きな人や気が合う人だけと付き合っていけば良いが、社会に出ればそうではなくなる。会社で嫌な上司がいたとしても、上手くやっていかなければならない。

だから私はコロナ禍でも、できること・やりたいことを見つけてチャレンジしていきたい。せっかく雑草を抜いてきれいになったので、これからお花の種を植えようと思う。

そして、徳を積みたい。論語にこうある。「子曰く、徳は孤ならず、必ず隣有り」という言葉は、人格の優れた徳のある人が、いつまでも孤独ということはあり得ないという意味だ。

旅行をする。マスクを外して友達とおしゃべりをする。美味しいご飯を食べに行く。人と人とのつながりが広がっていき、自分の世界が鮮やかに染まっていく。

そんな未来が私に訪れてくれるように、人に見られていなくても、周りの人がハッピーになれる行いをしていこう。