私は私が大嫌い。私の人生も大嫌い。

いつもみんなは私に「もっと自分を大切にしなさいね」と言う。もはや耳タコだ。けれど、私だって望んでこうなったわけではない。

私は自分を好きになれなくて、周りからの愛を求めるモンスターになった

両親は五体満足かつ健康にこの世に産んでくれたのに、15歳を過ぎた頃から、自分の力で自分の心も体も崩壊させ始めた。そんな欠陥品の自分が好きになれなくて、代わりにみんなからの愛を求めるモンスターになった。

自分が大嫌いで、どうしても自分を好きになれなくて、自分を嫌いになるのに比例して、いい恰好をするのが上手になって、みんなに愛してもらう。外面はいいから、愛想も振りまくし愛情も与えることが出来る。

楽しい時間や面白い話を提供する術は備わっているから、一緒にいる時間は相手を絶対に満足させられる。だから友達は多いし、職場やサークル仲間でもファンが多い。

自分自身もそうやって愛されている自分はちょっと好きだ。不完全な自分が少し人間に近づけたような気がするから。

気を遣えば遣うほど、みんなは私を好きになって、そして私が嫌いになる

それでも、みんなとずっと一緒にいるのは苦痛だ。話したいわけではない話をして、笑わなきゃいけないから。気を遣えば遣うほど、みんなは私を好きになって、そして私が嫌いになる。

でも、ひとりぼっちの自分はもっと嫌いだ。自分の足りない部分や、自分の歩んできたまっとうではない人生を見つめて、溜息しか出ないから。それならば、作った自分でも好きと言ってもらえる時間があるのはありがたいことだ。

それでも、ありのままの自分を吐き出したい時がある。自分の病気の事、道をそれてしまった話、友達の幸せに喜べない性格の悪い私の心。それを思うがまま表現できて、時たまそんな自分が大嫌いな自分の心が好きだと言ってくれたり、共感しましたと言ってくれることがある。

ただ心のままに自分と向き合うことが出来るから、私は「書く」

嫌いな自分を好きと言ってくれる。醜い自分にプラスの評価をしてくれる。満たされることのない自分の心が瞬間だ。

だから私は書く。思うがままに、事実のままに。

笑いの為に誇張することもなければ、イメージの為に物語を編集することもない。ただ、心のままに自分と向き合うことが出来るのだ。

愛情に飢えた厚い仮面を被った私が、裸でいられる場所。それが私のページだ。