卒業アルバムを開くと、デニム地に身を包んだ私がいた。
つるりとした飾りの一切ない肌が、満面の笑みをこちらに向けている。

人と違う容姿の自分が笑われている瞬間だけは、許された気持ちに…

小学二年生の夏休み前日、私は目が覚める程青い朝顔の鉢を抱えて家に帰った。真っ赤なランドセルを背負って、黄色い通学帽子をかぶっていたから、一人信号機みたいになっていた記憶がある。日光が当たってアスファルトが焦げたようなにおいと、上空で私を嗤っているような蜂の浮遊音がひたすらに鬱陶しかった。

先生にも親にも「二人以上で帰りなさい」と言われていたから、あの日は近所の子が風邪でも引いていたのだったか。仲が良い悪いなんて分からず一緒にいる年齢でも、一人でいると気が楽だった。だからか、登下校への寂しさはなかったくせに、自分の体力が限界だということを知ってもらいたい欲はあった。

太っている私が重い荷物を持てないことで、クラスの皆が笑った。ただ、それで良かった。誰かが笑うことで、周りより大きな自分もそこにいて良いと思えたからだ。
周囲に同化して、控えめに笑っているほっそりした友人たちに羨ましい気持ちがなかったのかと言えば大嘘だ。だが、人と違う容姿の自分が笑われている瞬間だけは許されたような気持ちになった。

誰の目にも儚げに映る朝顔に、ほんの少しだけズルさを感じてしまう

学校から自宅までは徒歩十分程度で、上り坂を越えたら平坦な道が待っている。普段なら小走りでもっと早く着いた。それが、朝顔の鉢と学期末の荷物を詰め込んだパンパンのランドセルという枷によって倍近くかかることになってしまった。信号機みたいな私は、大袈裟にふうふう肩を上下させてようやく坂を上りきった。

熱風で意識が飛びそうになるたび、目の前の青い鉢からするりと伸びた朝顔のつるを見つめた。日の光を好む植物のくせに、直射日光が当たると枯れやすくなる。集合して咲く寒色の繊細な花弁の美しさに人々は魅かれるし、私だって綺麗だなと思った。

けれど、ほんの少しだけズルさを感じてしまう。誰の目にも儚げに映るなんて、あまりにも理想の姿だった。いつだって勝手に守られる立場であることを理解なんかしないのだろう。二重顎を伝って首筋に垂れる、ぬるい汗が青い鉢に落ちた瞬間の虚しさを知っている人間は、この世に何人いるのだろうか。

今だって別に痩せているわけではない。背が低く平坦な体型の割に太腿が主張していて胸はなく、パッとしない一重の瞳も備えている。ただ、久しぶりに会った人に言われる一言は、百パーセントの確率で「痩せたよね」である。

「か細い子を守らねば」という行動は、あの頃の私の特権だった

ひらひらした服装の小柄な女子の輪の中に一人、デニム地のジャケットとジーパンを履いて、剛毛の黒髪が熊のような人間がおにぎりにかぶりついている。当時の私が着られる服は子供服の中には少なくて、精一杯のお洒落着の一つだった。

ベリーショート、顔面の肉に埋もれた細すぎる瞳、名前の漢字も手伝っていつも男の子と勘違いされていたのだ。だからというのは後付けかもしれないが、勝手に私は「か細い子を守らねばならない」という意識があった。

彼女らと遊びに行って率先して車道側を歩いたり、自転車で一番後ろを走ったり、ちょっかいをかける男子を怒ったり虫を追い払ったり。剣道をしていたから、胴着で竹刀を持つと、幼稚な責任感でも周囲にはウケた。体型も顔面もあまりに似合ったのだ。ボーイッシュが売りになったし、豪快な物言いや思い切りの良さはあの頃の特権だった。

今よりも自分の行動に誇りを持って、ヒーローみたいな顔をしていた私

茶髪の毛先を弄りながら、アルバムの最後のページに寄せられた友人からのメッセージを眺める。「面白かった」とか「いつも元気だったね」とか、どちらかというと暖色系のカラフルなペンでいっぱいに書かれていた。

アルバムを閉じる。記憶は過剰に映像化され、自分の記憶に残っていく。写真を撮ったり録画したり日記を書いたりしたって、あくまでもそれは断片である。
当時だって自分のことが好きだったわけではない。体型についてとやかく言われて苦しくなかったはずないのだ。でも、今よりも自分の行動に誇りを持って、ヒーローみたいな顔をしていた。

ティッシュが一枚、摘ままれてすぐに水滴でシナシナになった。
パンダみたいになっている目元を洗い流そうと、私は洗面所へ向かった。