私は今、幸せです。
これを前提として、私は私を語ろうと思う。

上司に言われた「第一印象はいいよね」に「確かに」と納得した私

小さい頃から様々な種類の人達と関わって育って来た為か、どのような意見に対しても第三者目線で物事を考える事ができた。
ただし、それにより自分の意見というものが生まれにくいので、表面上人に気に入られるが、決してそれが長続きはしなかった。「第一印象はいいよね」、この言葉をある嫌いな尊敬している上司に言われ、確かにと納得したものだ。

まあ社会で生きる上で大事な事だが、人間関係が希薄にはなる。家族に対しても長い間反抗期みたいなものをこじらせてキツく当たったり、基本的に無関心で心から笑った記憶がなかった。

20歳を過ぎてできた家族との心の距離。それでも、全員好きだから…

ここまでだと、辛い人生を送ってきたと勘違いしてしまうと思うが、決してそんなことはない。家庭環境だけでいえば、父は上場企業、母はパートで働き、お小遣いも毎月もらえ、小さい頃は毎年社用だが、旅行にいけて、楽しかった覚えがあり、幸せな家族だったと思う。

しかし、20歳を過ぎ、恋人ができ、心から笑えるようになると、更に家族とは心の距離ができた。外泊し、家に戻ると空気が重い、なんだか息苦しさを覚えたものだ。
同棲を始め、そこから抜け出して息が吸えるようになると、そこに残していった家族を気に掛けるようになった。

ある日、父が病気になり、後遺症で母と妹に暴力を振るうようになった。元々父は我慢強かったが、タガが外れ、母と妹は逃げ出した。
私は全員が好きだったので、助けたかったので、父の顔も時々見に行った。私は受け入れられ、今まで育ててもらった恩を返すように、父と娘の関係をやり直すかのように、楽しいひと時を過ごした。

大切なものは気付いた頃には手遅れになる。今あるものを愛すこと

話していると父は涙を流した。娘にとって父は「強く、家を守る尊敬するもの」という認識があった為、初めて見せた涙に様々な感情が私をおそった。困惑もあったが、初めて父の本音を見た気がした。嬉しかった。しかし、父の心から私もいらないものになり、父方の親戚にお世話を頼んだ。

しばらくし、父が亡くなったと連絡が来た時、安堵と悲観を覚えた。父がこれ以上苦しまなくて安堵し、もう2度と父に会えない悲しみを覚えた。
大切なものは気づいた頃には手遅れになる。なくなったものは元には戻らない。
だから、今ある大切なものを愛し続けようと思う。これには第三者の意見はない。私の意思だ。