朝9時頃。机に座りパソコンを立ち上げるのが、いつしか私のルーティーンになっていた。
新型コロナウイルスの感染者が急増する中、私が通う高校では夏休み前から授業がオンライン式に切り替えられた。そして、夏休みの今は夏期講習をオンラインで受けている。
オンライン授業は通学時間がないのが楽だし、授業中にこっそり飲み物を飲んだりできるので正直ありがたい。勉強も嫌いではないし、先生の授業はとても興味深い……のだが。
授業の前のとある『ルーティーン』が、私には引っかかるのだ。
「本日の体調は?」何でもないように見える質問に感じた違和感
授業の出席確認にあたり、生徒には授業前にとあるアンケートに答えることが義務付けられている。それは、健康チェックシートである。
クラス、氏名、本日の体温.……といった風に各項目に答えてゆく。
そして、私はその中の一つの質問項目について、納得がいっていない。
『本日の体調は?』
そう。この質問である。そしてこの下には、『良い・普通』『あまり良くない』『悪い』と、3つの選択肢が設けられている。
一見何でもないように見える質問だ。実際、生徒のほとんどは何の疑問も感じていないはずである。
けれども、私はこの質問を目にしたときに、『体調とは何か?』と考えずにはいられなかった。
体調とは何か。一般的には身体の調子が良いのか、悪いのかという意味だと思う。
しかし私は、『体調』とは身体の調子に加え、『心』の調子の良し悪しも含まれていると思っている。
このご時世なので、おそらく『本日の体調は?』という質問の中には、『心の調子はどうですか?』という意味は含まれていないのだろうと思う。わかっている。わかっているのだ。
だからこそ、質問に対し私は真顔で『良い・普通』と答えている。
少し前から日本に住んでいると「心が軽視される」と感じるように…
しかし、私の『心』の調子を答えるならば、ここ数年間はずっと『悪い』。
機能不全家族を持ってしまった私は精神的に不安定になり、これまでに何度も自殺を考えた。
だからかもしれない。つい「心がしんどいです」と答えてしまいそうになる。
誰も、私の『心の調子』がどうであるかの説明なんて、求めてすらいないのに。
だが最近は、そう回答したくなるのには、他にも理由があることが分かった。
それは、この何気ない質問に、今の日本社会の片鱗を見た気がするからである。
新型コロナウイルスの感染拡大以前から、心のどこかで、日本は『心』が軽視される国だと感じていた。
日本では自殺者がとても多く、『幸福度ランキング』では順位が低いという話をよく耳にする。
テレビ番組では、インタビューを受けた外国人が、「日本はお金があるのになんでみんな暗い顔をしているんだろう?全然楽しそうじゃないよね」と言っている。
また、人前でマスクをしていると「どうしたの?風邪?大丈夫?」と言われ気を遣われることが比較的多いのに、精神的にしんどい人やうつ病の人は気づかれないことや、「そんなのは甘えだ」と言われることすらある。
自分を許せるようになって、周りの人にも「お疲れ様」と声をかけたい
勿論、精神的な苦痛や病気はデリケートであり、親しい関係でないとわからなかったり踏み込めなかったりもする。風邪みたいに薬を服用する、というわかりやすい解決策があるわけではないので大変複雑で、難しい。
だが、それが人々の精神的苦痛を見て見ぬふりをしたり、ましてや「甘え」などと言い攻撃することの理由にはならない。誰も幸せにはならない。
「辛い」という思いはその人だけの物で、優劣などつけられないのだから。
しかし、そうとわかっていても、今の大変な社会の中で、皆それぞれ自分のことで精一杯で、他人を思いやる、というのは自分に余裕がないとなかなか難しい。
なのでまずは、少しでもいい。自分に優しくなろう。
美味しいお菓子を買ったり、二度寝したり、推しの動画を見たり。
『幸せ』と思える時間をちょっとずつ積み上げていけたらいい。
私自身ストレスをためやすく、完璧主義で自分を追い詰めやすい性格だ。だからこそ、自分を許せるようになりたいと思う。
そして、もし余裕が出てきたら、自分の周りの人に「お疲れ様」と声をかけてあげたい。
コロナ禍という共通の状況におかれて辛い日々を送っているからこそ、分かり合えることもあるはずだと思うから。