わたしはこの男が好きなんだろうか、と考えていた相手がいる。二年ほど前の話だ。
前職で仲良くしていたうちの一人で、退職をした後に距離が縮まった。
周囲からは「付き合えばいいのに」と何度も言われたり、まめに連絡を取って飲みに行ったりしていたが、それだけだった。そんな関係が一年以上続いていた。

その間、わたしは男が好きという確信がいつまでも持てず、かといって執着することもできなかった。友達以上恋人未満という言葉は、当時のわたしと男にぴったりと当てはまる。ただ信頼はしていた。これだけは断言できる。
わたしは、信頼した相手には自分のことをよく話す。家族の話、自分の笑い話、そして過去の話などを。
男にももちろん話していた。特に、過去の話を。

過去を「やばいね」と流す彼。また流されるだろうとおもっていたら…

高校時代、所属していた部活動で痛い目に遭った。
簡単にいうと部員からハブられて、周知の事実だったのに誰も助けてくれなかった。

もともと仲良くなれないもの同士が、教室よりももっと狭いコミュニティで密な時間を過ごしていたのだ。小さないがみ合いや「排除」は日常茶飯事で、その順番が自分に回ってきた。「部活をさぼっている」という判定をされたから。

結果として、わたしは自ら部活を辞めた。限界だった。部員の顔色を窺って、もめ事が起きないように水面下で動き回ることに嫌気がさした。精神を削りながらやってきたことの見返りがこれなのだと悟った時の、怒りと、孤独と、絶望感――それらがずっと尾を引いていた。

この話を男には何度かしていた。「高校時代、部活でハブられて嫌になって辞めたんだよね~」というような感じで。男も真剣には受け取らず「なにそれ、やばいね」と笑っていた。
あれだけ傷ついたのにそんな軽い笑い話にした自分にも、それを笑って流す男にも違和感を抱きながら、気づかないふりをし続けた。

その時も、その話を何かの拍子に口にした。「プレゼンの資料作りを手伝ってほしい」と頼まれて、会っていた時だった。
いつも通りのなんてことない、軽い会話のつもりだった。どうせまた真剣には受け止められず、笑って流されるのだからと。
けれど、男はこう言った。
「いや、でもさあ、――それって勘違いかもしれないじゃん?」
言われた直後、何を言われたのか理解できなかった。“勘違い”。……何が、“勘違い”なのか?

唐突に気付いた。私は古傷に寄り添ってほしかっただけだった

「話し合いもなしに一方的にハブられて、誰も助けてくれなかったのに?」
「向こうの話を聞いてないから、実際のところは分からないよね」
どうして、そんなこと言うのか。わたしが嘘をついていると言いたいのか。それとも、何度か同じ話をしているから、うんざりしてこんな言い方をしているのか?
訳が分からなかった。どうしてわたしに寄り添ってくれないのだろう、と。

その時に唐突に気づいた。
ああそうか、わたしはこの男に、自分の古傷に寄り添ってほしかったのか、と。
そして同時に気づいてしまった。この男は絶対にわたしの古傷を理解しない。わたしが当時どれだけ傷つき、その傷が癒えるまでどれほど苦しかったのかも。
だってこいつは、友達以上恋人未満の、責任をとらなくていい曖昧な関係に甘え続けている。

数日前、わたしを抱こうとしたくせに。
二人で飲みに行って、終電を逃して。始発までカラオケで過ごそうとしたら「シャワー浴びたいからホテル行きたい」なんて言ってきて。そうしてホテルに着いたら「オレはお前と一線超えても後腐れはない」と予防線をしっかりと引いて、選択とその責任をわたしに押しつけたくせに。

「嫌がってる女は抱かない」といってわたしのせいにしたくせに。
そのくせ、別れ際、名残惜しそうに手を握ってきたくせに。
そうだ、こういう男だった。人が真剣に話しているのに茶化してくる。それを辞めてほしいと言っても、それすらも茶化して笑ってくるのだ。何もこれが初めてではない。今までだって、何度も何度も、同じように違和感を抱いていたというのに。
この男が一度でも、わたしに寄り添ってくれたことがあっただろうか?

人生の根幹となった、孤独を感じた夜。私の人生は私だけのもの

何かが自分の中で崩れていくのがわかった。
あんなことがあったのに、それでも数日後には男に会いに行った自分が、実は舞い上がっていたことにも、こんな男を信頼していた自分にも、曖昧な関係に甘えていたのは自分も同じことにも、吐き気がした。
わたしの顔が強張っていたことを、男はきっと永遠に気づかない。

その後、男とは時間をかけて距離を置き、今では連絡先すらわからない。今後わたしの人生に関わってくることは二度とないだろう。
あの男に、高校生のわたしが抱いた大切な怒りや孤独や絶望を理解して欲しがっていたなんて、今思うと笑ってしまう。

だって、わたしだけのものだ。他の誰のものでもない、わたしだけの怒りで孤独で絶望だ。自分の人生の根幹となっている、怒りと孤独と絶望なのだ。
これは他人に理解させるものでもなければ、消費させるものではない。
エネルギーにして、消費していいのはこの世でたった一人だけ。
わたしだけ。