小学校の頃から男子が苦手だった。
普通に話せる人もいたが、学年の男子のほとんどが嫌いだった。この頃はまだ「男子嫌い」だった。

中学校はお隣の小学校と一緒の中学校だった。
私の通っていた小学校は先生がかなり厳しく、ガラスが割れるなんてことはなかなかなかったし、児童が脱走する事例も聞いたことがなかった。「平和」な小学校だった。
そんな「平和」な小学校出身な私は、お隣の小学校の人が怖くて仕方なかった。
中学校1年生の時から朝、教室に入れないことが多かった。
身体的特徴やコンプレックスをいじられ、気持ち悪かった。そして汚い言葉たちが怖かった。

帰宅途中。隣のクラスの男子がついてきた。撒こうと必死に歩いたけど

中学1年生の3学期のある日。
体育の授業は自由に球技をしても良い時間だった。仲の良い友人と2人でバトミントンをしていたが、そこに隣のクラスの男子が1人入ってきた。
やたら距離が近く、ハイタッチや握手を過剰に求めてきて、怖くて急いで切り上げて、他の女子が多くいる競技に混ざりに行った。

事件はその日の帰りに起きた。
私は校区の端に住んでいた為、帰りは1人のことが多かった。学校の近くは人が多くて気づかなかったが、帰り道が逆のはずの体育の時の男子が約100m後ろにいた。
人が少なくなるに連れて怖くなり、家を知られたくない為に通学路ではない道を歩いた。
それが大きな間違いだった。

怖くて、怖くてひたすら撒くために歩いていたら、本当に誰もいない行き止まりに来てしまった。
防犯ブザーなんて……とつけていなかった。
そこで無理矢理その男子にいや、男性にキスをされた。制服のボタンに手をかけようとした瞬間に蹴り飛ばしてなんとか逃げられたが、気持ち悪くてとにかく必死だった。

男性が怖い。進路相談で担任から進められたのは女子校だった

親にも言えず、友人にも打ち明けられずにいたが、また事件は起きた。それも学内で。
同級生の男子に胸を触られる。しかも毎日。「こいつ貧乳だー!」と叫ばれる。
また放課後にそのようなことがあった。近くの同級生の男子に「ごめん……捕まえて……怖い」と伝えると、追いかけて捕まえてくれた。

私は学年主任のところに逃げた。
学年主任の先生はすぐ対応してくれた。この対応がなければ私は女子校に転校したい……と親に言うつもりだった。
被害は私の周りの友人にも及んでいた。
その時私は友人に漏らした。
「もうあれは男子じゃない。男性。私は男性が怖い!」

中学校を卒業するまで、上の2人からの被害は続いた。
図書室で本を読んでいれば身体を触られる。廊下を歩いていれば卑猥な言葉を掛けられ、馬鹿にされる。

クラスは別でも怖く、保健室で過ごすことも多かった。休み時間は放送委員のみが立ち入れる放送室で過ごすことが多かった。その当時後輩だった今の彼氏と趣味の話をして、家から持ってきた本などを読んで過ごした。
進路相談の時、担任の先生から勧められたのは「女子校」だった。

「性格的にも育ってきた環境としても貴女は女子校なら活き活きとできるはず。雰囲気としては私立のここが似合うと思う!」
大好きな可愛い担任の先生からの言葉だった。
私立は普通科の女子校、公立は将来と偏差値を考慮して共学にしたが、私立の合格が出たその日に入学手続きをしに行った。

過去から今の私へ。そして多くの人に伝えたい。拒むことの大切さ

実は2つ目の事件は学年でも大騒ぎになり、そのようなことをした本人とその親、担任の先生が我が家まで謝罪に来た。
母から聞いたが私の事件、妹が附属中学に進むことが危ういと分かった時から、父は女子校に話を聞きに行ってくれていたそうだ。

私は短大まで女子校で過ごした。
女子は女子で怖いところはあったが、性的な被害に遭うことが減ってから活き活きと過ごせた。
3年間、代議員を務めた。文化祭で1人踊った。音楽の卒業テストで1人アカペラで歌った。短大ではドレス制作や学生自治会の活動にも参加した。
恋もした。
女子だけの空間で5年間身の守り方、知識を身につけることができた。

彼氏にそのような被害に遭っていたことを話せるようになったのは今年の1月だ。
男性嫌いはあまり改善されていない。正確には改善不可能。ただ生涯をかけて愛そうと心に誓っている彼氏のことなら私はいくらでも受け入れられる。

「男子は精神的な成長が遅いから……」
「君がそんな格好をしていたからじゃないかい?」
そのような心ない言葉をかけられている女子・女性が多くいるかもしれない。
性的被害に遭ったら大声でヘルプを求めて欲しい。防犯ブザーでもいい。「No!」と強く拒否して欲しい。

誰かに被害を報告してほしい。報告された側は非難せずに受け止め欲しい。
これは過去の私から今の私へ、そして多くの人に伝えたいことだ。