私は大学生のころ、大学の生活協同組合(生協)でバイトをしていた。
大学生のバイトというのは、サイクルが非常に短い。1、2年生の時は新人~中堅だが、3年生になると、もうベテラン上司の扱いになる。そして、4年生になると、研究や就活のために隠居する。仕事場によって違いはあるが、1つのバイトを長く続けたとしても、四年間しかない。

全員が新人であり同僚の中、講座立ち上げプロジェクトのリーダーに

私のバイトは、大学の新入生に体験型のプロジェクトをしてもらう講座を運営するスタッフだった。しかも、3年生にして、この講座を立ち上げる第1期のスタッフになってしまったのだ。
プロジェクトといっても色々ある。食堂の新メニューを考えたり、企業のパンフレットやPVを作ったり、次の新入生向けの記事を作成したりなど幅が広い。そして、生協側から提示されるプロジェクトを、受講生には約10回の講座で体験してもらわなければならない。
みんなが手探りで、失敗と成功をフィードバックしながら講座を進めていくしかなかった。全員がルーキーで、同僚で、上司も部下も関係なかった。
それでも、3年生という立場から、リーダーに任命された。リーダーである以上、他のスタッフに指示を出すことが求められる。
「次はどうしたらいいですか」
そう聞かれても、私だってどうしたらいいか分からない。
1週間先の講座内容さえ、ぎりぎりまで修正を繰り返す。ようやく形になって、講座にこぎつけても、進捗がかんばしくなかったり、迷走していたりした。

料金と見合ったものを提供するため前に立ち、厳しいことを言い続ける

講座が終わり、受講生が帰った後の振り返り会で、私は前に立ち厳しいことを言い続けた。
「私たちはスタッフだから、受講生と一緒の目線で講座をやっていたらダメ」
「スタッフの姿を、受講生はしっかりみている。気を抜いた姿を見せるな」
「報告をして。そうじゃないと、問題を共有できないし、対処もできない」
「事前にスライドやノート欄をチェックする。準備ができなければ、スタッフではない」

特に1年目は褒めることを、ほとんどしなかったように思う。褒めようと思っても、褒められるところを見つけられなかった。
スタッフ個人の頑張りは、もちろん褒められるものだったし、個人的に伝えたりはした。けれど、リーダーである以上、講座を成功させなければならない。
1年目をなあなあで済ませたら、この講座は来年度にはなくなってしまうだろう。そして、なにより、お金を払って講座を受講してもらっている以上、それに見合ったものを提供する義務がある。これは、仕事であるのだから。

必要悪を理解し、見てくれる人がいることは、とても幸福なこと

4人いるリーダーのうち、私がもっとも厳しく、怖い上司であったことは間違いない。後輩たちは、私に相談するのも気が引けただろう。
私は他のスタッフの前で、偉そうに叱責するものの、内心では「そんな立派な人間ではないのに」という思いが常にあった。叱った後は、同期に「あんなこと言ったけど、よかったのかなあ」と泣きついたりもした。
それでも叱り続けたのは、生協の職員さんが「小木ちゃんが、そういう役をしてくれるから講座が回る。しんどいとこだけど、ありがとう」と言ってくれるからだ。
見ていてくれる人がいる。職員さんと、そして同期のリーダー3人は私が必要悪であると分かっていてくれる。その信頼と役目の重さは、優しいだけの上司では得られないものだった。
上司になると、途端に孤独になる。他のスタッフから切り離された、別の存在になってしまう。しかし、見ていてくれる人は必ずいる。そして、影の頑張りを認めてくれる。それは、何物にも代えがたい報酬であると思う。
大学生にして、この「見ていてくれる人」の存在を知ることができたのは、とても幸福なことだと、私は思っている。