東京大学の食堂は、がらんとしていた。忘れもしない、東京都文京区本郷7丁目3番1号という住所。私は先ほど、説明不要の赤門を潜って、ここ東大に訪れた。

無論、ひとりではない。私のような凡人が足を踏み入れて、食堂でカレーライスを意気揚々と頬張ってよい理由はない。

彼が口に出したことは、すべてその通りに実現するような気がした

カレーライスは、いかにも、という姿形をしていた。何度も食べたことがある、見た目通りの平凡な味がした。なぜカレーライスというものは、いつも同じ味をしているのだろうと、何度も首を傾げた。

私の前に座って、やはりカレーライスを食べていた彼も、「普通の味でしょ?」と笑った。酷く嬉しそうな笑い方だった。私には何故彼がそんなふうに笑うのか、よく分からなかった。

彼は、とても頭の良い男のひとだ。この大学の生徒だから、というだけではない。彼は恐ろしいくらい純粋で、高貴な魂を持っていた。何にもなれない私と違って、彼はこれから何にでもなれるはずだった。

冗談ではない。気がおかしくなったわけでもない。彼が口に出したことは、すべてその通りに実現するような気がした。学者にでも、経営者にでも、宇宙飛行士にでも、総理大臣にでも、何にだってなれる。そう思わせるほどの圧倒的な輝きが彼にはあった。私は彼が眩しく、羨ましかった。

「君は変わっている」「変人だ」「おかしいよ」と幾度となく浴びせられた言葉は、ふとしたときに頭のなかで蘇る。他人から見て、私は少し変わっているらしかった。

彼は私が疑問に思った事に対し、いともたやすく正解を導き出した

でも私からしたら、私以外の全てのひとが、頭がおかしく見えていた。見えていた、というより、実際頭がおかしかった。私は自分の全てが正しいとは到底思わないが、自分の考えこそが正義だと思っている。何が違うのかと聞かれたら、それは複雑な事柄である。

嫌いなものがあれば、とことん調べた。何故嫌いなのか、何故憎むのか、それらを説明できないといけないからだ。私は驚くべき分かりやすさで、それをひとに伝えることができた。嫌悪というのは、不思議と言語化しやすいのだ。ひとは「なるほど、分かった」と返事をした。

愛しているものがあれば、繰り返し目に焼き付けた。名前や名称を反復し、触れられるものなら、消えそうになるまで何度も指でなぞった。何故愛しているのかを説明すると、動く舌先とは別に、脳みそが発熱しそうになった。自分の言葉は口から出る前に、空のほうに蒸発していく。ひとは「よく分からなかった」と言った。愛することを説明するのは、これほど難しい。

カレーライスは、ほとんど空になった。白い皿の底があらわに見える。私は目の前にいる眩しい彼に、自分の好きな作家の話をした。夏目漱石、川端康成、中村文則、フランツ・カフカ。彼はそのどの話も愉快そうに聞いていた。

そして時折、自分の話もしてくれた。彼が学んでいる理工学部の研究についての話だ。難解で、複雑なパズルのようだった。でも、永遠に忘れたくないと思えるほど、清らかで澄みきった言の葉だった。

彼は、私が疑問に思った事柄に対して、いともたやすく正解を導き出した。答えが不明な問題にあたると、ともに悩んでくれた。

彼は恋人も友人でもない。「愛するもの」を説明するのはとても難しい

彼は特別な人だった。私のような凡人には到底たどり着くことができない、神聖な領域に身を置いていた。私には、その欠片の美しさもなかった。

「いいかい、君は特別なんだよ」。いつでも愉快そうに笑っていた彼が、真剣な眼差しを向け、まだカレーライスを頬張っていた私に向かって言った。心臓を刺すような衝撃だった。

「……特別?」と私が聞き返すと、「そう、特別。君は自分が特別だということを、ちゃんと知るべきなんだよ」と彼は言った。

彼が口に出したことは、すべて本当に実現するような気がした。鉛のように重く埋まった、私を形容した無意味な他人の言葉たちが、さらさらと浮かび上がり、消えていく。彼は数学の問題を解くように、いともたやすく複雑に絡み合った言葉の糸をほどいた。

私は、言葉にできないことなど、この世にはないと思っている。しかし、この感情は他の何にも形容し難い。

彼は恋人ではない。家族でもない。友人でもない。これは恋でもあり、友情でもあり、憧れでもある。数千文字では到底足りない。愛するものを説明するのは、これほどまでに難しい。