わたしが中学生の頃のことだ。女子の間では、授業中に手紙を回すのが流行っていた。
可愛らしい模様のメモに、グリッターペンでメッセージを記す。複雑に折って宛先を書き、先生の目を忍んで席伝いに届ける。
メモを四角に折り畳めば授業の愚痴。ハート型に折り畳めば恋バナ。授業中の手紙は暇つぶしであり、情報交換の要であり、我々女子の必修科目であった。
ヒカリの手紙の内容に心臓がどくりと脈打つ。わたしと好きな人一緒だ
数学の先生が板書をしている時、ハート型の手紙が回ってきた。わたしは絶対に見つからないようこっそり読む。
「ノゾミへ。今日の体育バレーボールだよね。腕痛くなるしゆううつ……。てか昨日憧れのAくんに話しかけられた! ほんとかっこよすぎ」
手紙の送り主はヒカリだ。吹奏楽部の彼女は、音符をあしらったメモに丸く可愛い字でメッセージを書く。
文面を見て心臓がどくりと脈打った。どうしよう、わたしも好きなのに。
でも、正直言ってヒカリとAくんはお似合いだ。ヒカリは目がくりっと大きく華奢で、長い黒髪が美しい。Aくんは無口だけれど人気がある、サッカー部のエースだ。
憧れの対象として遠くで眺めているだけのわたしに勝ち目はない。それに、わたしのせいでヒカリを困らせるのだけは嫌だった。
「ヒカリへ。本当やだよね、早く体育でバスケするようにならないかな。いいな、Aくんとどんなこと喋ったの? 後で聞かせて」
わたしは返事のメモを急いで前の席に回す。はずみで机の横に下げたバッシュに足が当たり微かな音を立てた。慌てて教壇をちらりと見るが、気づかれなかったようだ。
窓際列の一番前と一番後ろの席でやりとりをしているので、間に座る4人の手を経由して手紙は往復運動をする。
内容はいつも他愛もないことだ。万一先生に取り上げられてもいいよう、好きな人の名前は暗号化しておく習わしがある。クラスの至る所で手紙が飛び交うので、いちいち怒ったり取り上げたりすることを諦めている先生も多かった。
興奮が伝わるヒカリの文字。十中八九、Aくんの告白は成功するだろう
国語の先生は年寄りで目が悪い。しかも授業のペースがすこぶる遅い。つまり、国語の時間は手紙を回すのに打ってつけなのだ。
今日はこんな内容だった。
「ノゾミへ。Aくんに呼び出されちゃった! 17時に校舎裏来てって言われた! 告白してくれるのかな、もうしんぞうヤバいよー」
丸文字からヒカリの興奮が伝わってくる。メアドを交換して毎日やりとりをしているようだから、十中八九、Aくんの告白は成功するのだろう。
「ヒカリへ。絶対大丈夫だから、がんばってね! バスケ部の練習抜けて応援しにいきたいくらいだよ」
わたしは返事のメモを前に手渡しながら、ため息を押し殺した。もし正直に気持ちを伝えても、わたしと恋人同士になってくれることは絶対にないだろう。
ヒカリは晴れてAくんと付き合い始めた。美男美女のベストカップルとして、学年の皆から羨望のまなざしを受けていた。
わたしは毎日家に帰って泣いた。学校では、特にヒカリの前では絶対に泣かなかった。小さなプライドが邪魔をして、親にも他の友達にも、本当のことは言えなかった。
ある日、バスケ部の練習終わり。体育館の窓からは西日が差しこんでいた。
「最近ずっと顔色悪いよ、大丈夫?」
ボールを倉庫に片付けながら、ノゾミがわたしに問いかけた。
憧れだし、一目惚れに近かった。恋愛対象として好きだった
いつからか分からないから、きっと一目惚れに近かったのだろう。
わたしはヒカリに憧れていたし、好きだった。恋愛対象として好きだった。
ヒカリのほうは、わたしをただのクラスメートとしか思っていない。直接だと緊張してほとんど話せないから、同じ女子バスケ部に所属するノゾミを通じて、わたしはヒカリの情報を得ていた。
席替えでヒカリとノゾミの間の席になってから、往復運動する手紙をこっそり開けて盗み見るようになった。最低なことをしていると自分でも分かっていた。
ヒカリはAくんと仲良くなる過程を事細かに手紙に書き、ノゾミは純真に2人の恋を応援した。わたしはそれらを全部盗み読んで、ひっそり傷ついた。
「ノゾミ、ありがと。好きな人……憧れの人?がいたんだけどさ、最近失恋しちゃったんだよね」
「失恋かあ……つらいね。最近ってことは、もしかしてAくん?」
ノゾミは心配そうにわたしの顔をのぞき込む。
「うん、そうなの」
わたしの嘘は、夕方の体育倉庫に冷たく響いた。