あまりにも物が少ないわたしの部屋で、彼のiPhoneを一緒に眺めていた。
浅黒くて太い指が画面をスワイプした瞬間、ゼクシィのアプリが目に飛び込んできた。彼に彼女がいるのは分かっていたけれど、改めて現実を突きつけられた。
彼氏と別れたばかり。わたしにとって彼は元彼の代用品だった
始まりは普段と比べてお酒を飲みすぎた夜だった。どんなにたくさんお酒を飲んだところで、いつも記憶だけはしぶとく残っている。だから、このときのことも詳細に覚えている。
こんな記憶はいっそ切り取って消せたらいいのに、とは思うけれど消えない。
彼は何も付けずに行為に及ぼうとした。明らかに常習犯といった振る舞いに呆れた。白けきったわたしは「歩くバイオハザードかよ」と心の中で呟いていた。そして、わたしは自分でもびっくりするくらいはっきりと「嫌だ」と言った。
彼と関係を持った他の女性達は流れに身を任せているのだろうか。とても気になったけれど、さすがのわたしでも彼本人には聞けなかった。
1ヶ月前に彼氏と別れたばかりだった。だから、わたしにとって彼は元彼の代用品だった。
そして、彼から見れば傷心のわたしに近寄るのはたやすかっただろう。結婚が近いというのに収集癖を直せない彼のコレクションに1個加わる、ただそれだけだ。
わたしは代用品が相手だから、強気な態度で嫌だと言えたのだろうか。それともわたしは誰に対しても嫌だと言えるのだろうか。
こんな人、要らないのに。どうして手放せなかったのだろう
お酒に溺れた状態ではっきり嫌だと言えたわたしなのに、しらふのときには嫌だと思ったことを言えなかった。お酒で気が大きくなっていたのだろうか。
きっと何の気なしに送ったと思われる「俺のこと好き?」というLINEのメッセージは、鳥肌が立つほどに気持ち悪かった。いくつか年上の人だったので、半ば仕事のような感覚で「はい」と送った。
カウンター式のお店で焼き鳥を食べているときには、「煙草吸っていい?」という一言を断れなかった。わたしは煙たい空気も服に匂いがつくのも好きじゃないのに。
黙々と砂ずりを咀嚼しながら、もくもくと漂う煙を疎ましく思った。
そして、わたしも誰かの代わりだった。「お前は昔、付き合っていた彼女に似ている」と言いながら、学生時代の写真を見せてくれた。写真に映る元彼女とわたしが似ているのどうかは分からなかった。
そんなことよりも、わたしを「お前」と呼んでくるような人なんて要らないのに。どうして手放せなかったのだろう。
どこまで行っても、わたしは自分のことしか考えていない
倫理観がごっそり抜け落ちているのか、顔も知らない彼女を裏切った罪悪感は1mmもなかった。
強いて言えば、罪悪感を全く抱けない自分にかすかな罪悪感を持った。例えば、彼女がわたしの友達だったら少しくらいは罪悪感が顔を出してくれたのだろうか。
わたしが裏切ってしまったのはわたしだ。自分の嫌だという感覚を信じられなかったし、嫌なことを嫌だと言えなかった。どこまで行っても、わたしは自分のことしか考えていない。
わたしが彼にとって代用品だったのかコレクションだったのかは、彼にしか分からない。確実なのは一番ではなかったことくらいだろうか。
わたしにとって彼は何だったのだろう。やっぱり彼は代用品だった。でも、あの瞬間は痛みを紛らわすため切実に必要だった。夏季限定の関係には1ヶ月でピリオドが打たれ、いつしか痛み止めのない生活に慣れていった。
「自分の嫌だという感覚を信じる、嫌なことを嫌だと言う」
シンプルな言葉なのに、実行するのは難しい。感覚を麻痺させることで、最初から痛みを感じないようにする術を身に付けてしまったから。その代償は嫌なことへのセンサーが鈍るという形で回ってきた。思い返せば、小学生の頃から嫌なことに蓋をし続けてきた。呼吸するレベルで感覚を麻痺させてきた。
これからは自分の感覚を信じたい。だから、わたしだけはわたしを裏切らない。