高校生の、まだ互いに未熟すぎた頃からずっと隣にいたし、ずっと隣にいてくれた。思い返してみると、笑った回数より喧嘩した回数の方が多かったのかもしれない。

部活で会えるのに顔が見たいから、英語の時間がある日は胸が騒ぐ

本当に、お互いよく付き合ったよね。可笑しくていつまで経っても笑えちゃう。感情が1つずつ蘇ってしまう夜は、何故だか妙にお酒が進む。
しょっちゅう英単語の参考書を借りに行っていたのはもう5年も前の話。どうせ部活で会えるのに、どうしても顔を見たいから英語の時間がある曜日は胸が騒いだ。クラスメイトとはしゃいでいる所を見ると、少しだけ悲しくなったけれど。
「文理選択を間違えた」
その一瞬だけは大好きな生物を簡単に捨てた。生物の先生は白いうさぎを飼っていて、その子のために早く家に帰っており、残業なんて論外だった。
「寂しくなると死んじゃうの」
先生が七時間目の授業を早く終わらせる決まり文句。寂しくさせてるのは紛れもなく先生で、先生が愛した結果、その子は1人で死んじゃうんだと思った。

遠距離恋愛の時は授業の合間を埋めるように働き、互いの家を行き来

大学生になって、遠距離恋愛をしていたのにね。
私は居酒屋と塾講師のアルバイトを掛け持ちして、授業の合間を埋めるように働いた。バイト代の殆どは新幹線代か夜行バス代に消えた。でも会えるからどうでもよかった。私は会うために働いている。バイト中は2人の未来を考えた。
「新婚旅行はどこに行こう?」
「やっぱりヨーロッパ?」
「そういえば来月の3連休、ディズニーに行こう!」
私たちはよく電話をして、互いの安否を確かめた。「すき」なのは当たり前だったから。離れ離れでも、怖くない。高校の友達は私たちの存在を「理想のカップル」だと言っていた。卒業式のツーショットは「結婚式みたい」と囃し立てられた。
3ヶ月に1回、互いの家を行き来した。行きは会える嬉しさで満たされているけれど、帰りは自分を保つのに必死だった。
私は自分を癒すために、岩手と東京を繋ぐ「はやぶさ」の中で大好きな鱒寿司をよく食べた。口全体に広がる酸味は、何故だか味がしないことが多々あった。本当はとてもすっぱいのに。
2時間で着いてしまうから、私の心は置き去りで、身体だけが所在なさげに上野のホームに馴染んでいる。忙しない人たちに紛れて、私も多分、忙しない人に見えていたはずだ。

お酒を飲んでいっぱい笑いあい、その夜は永遠だと思っていたのに

とっておきの思い出は、私の最後の誕生日。普段は絶対に行かない、ワインバルのお店で。テラス席で食べたラムチョップが本当に美味しかった。秋の夜更けの夜気がとろりと溶けて、私の一部になっていた。互いの頬がふんわり赤く染まっていたから、それのせいだと思った。その夜だけはいっぱい笑って、今までの喧嘩を挽回した。
そのくらい、私たちは笑って、お酒を飲んで、酔っ払った私を抱きしめてもくれた。明日帰る予定だったけれど、その夜は永遠だと思った。

それなのに、ばかじゃない、ほんと。3年以上一緒にいたのに1ヶ月の留学でだめになっちゃうの?
慣れないお酒の残影が、朝の私までも支配している。私のあのウサギ同様、愛されていたから孤独に戻ってしまうのだ。