就活をするのが嫌だった。拒絶されたくなかったから。

不採用は、すなわち私のことを、全否定されることと同義だと思っていた。
だから私は就活をしなかった。
これは、私が就活をせずに就職し、やがて地獄を見るまでの話である。

我慢の限界と言う人へ。医療従事者も我慢をやめていいですか

人と比べて「劣っている」と否定されるのが怖くてできなかった就活

当時大学4回生だった私は、周りの学生たちが就職先を探して東奔西走しているあいだ、好きな文学の研究だけをして過ごしてきた。彼らが履歴書を書く代わりに小論文を書き、彼らが黒いリクルートスーツを着ているのを横目に、ヴィクトリアンスチームパンクやゴスロリのドレスを着て過ごした。

否定されるのが怖くって、私は就活ができなかった。社にとって要らない人間であると言われるのが死ぬほど怖くて、「ここで働かせてください」などとは口が裂けても言えなかった。人と比べて、劣っていると思われるのが、途方もなく怖かった。
それに、私は就職などしたくなかった。家庭の事情で叶わなかったけれど、本当は大学院に進学して更に研究を深めたかったのだ。
だから、私は研究に没頭し、「普通に就職して正社員になること」を求める両親から逃げ続けた。就活しているふりすらもしなかった。父が買ってくれた黒いリクルートスーツに袖を通すこともなかった。

訪れた転機で受け入れた提案も、働く日々は苦しくて涙に暮れていた

転機が訪れたのは、アルバイト先のお客さんから、「会社を立ち上げるから働かないか」と誘われたときである。
彼は「君は優秀だからなんでもできる。だから僕と一緒に働こう」と、なんとも胡散臭い甘言をくれた。

いい加減両親からの「就職しろ」コールに嫌気が差していたこともあって、私はその提案を受け入れた。その後のことなど何も考えていなかった。
入社したのは、IT関係の会社だった。私の専攻は日本近代文学だったから、パソコンなど論文を書く以外触ったことがない。畑違いも甚だしい仕事であったし、興味だって1ミクロンもなかった。
だけれどこれで両親が安心するならそれで良いと思って、私はやりがいも興味も全くない仕事に就いたのだった。

毎日が苦しかった。
訳の分からない専門用語に悩まされ、旧時代的なハラスメントを受けてダメージを受け続けた。私を肯定してくれる人など誰もいなかった。
全部自分のせいだと分かっているけれど、就職などしなければよかったと毎日涙に暮れていた。

個人の美点に目を向けた選考をしてくれる社会になってほしい

なぜ大学を卒業するとともに、就職をしなければならないのだろう。
本当に真面目に研究していたら、職探しなどする暇などないはずなのに、なぜ研究と同時に就職先を探さねばならないのだろう。

もう少し、考える時間が欲しかった。
学生時代と社会人の間に、モラトリアム期間が欲しかった。
学業を修めたあと、何をするか、じっくり考える時間が欲しかった。
そうすれば、私は選択肢を間違わず、合わない仕事で精神を病んで閉鎖病棟に入院することもなかったと思う。
やたら恐怖心を煽るような入社面接も、なくなれば良いのにと切に思う。
必要以上にそのひとを否定するような質疑応答など、本当に必要なのだろうか。
もう少し個人の美点に目を向けた選考をしてくれる社会になればよいのにと、切に願う。