夜って暗くて静か。なんだか闇に包まれて自分だけの世界に浸れるような、それでいて自分だけ取り残されているかのような孤独を感じさせる。
誰かが、まるで宇宙空間に放り出されているかのような感覚になると言っていたのを聞いたことがあるけれど、すごく分かる気がする。
不思議にも悲しくて胸が詰まりそうな夜だけは、その痛みを思い出すことができるくらいに、頭の奥にくっきりと焼き付いている。
とりわけ高校3年の冬、年末に近い冬の夜空を見上げながら毎日のように泣いていた。
クリスマスの余韻が残る都会の街のネオンに負けまいと輝く星を探しながら。
同級生が、名門大学に推薦で合格。努力してきた私の自信は喪失した
私はどうやら人と比べられる環境がとても苦手なタイプだった。
周りを気にせずに受けたテストは100点でも、どうみられるかを気にすると点数は下がってしまう。期待に応えられない自分へ余計に鞭打ちたくなる気分になった。
中高一貫の女子校に通っていた私の学校は、3年になると夏休み明けの秋頃から、誰がどこの推薦に受かりそうだとか、余計な噂がひっきりなしに耳に入ってきては自分の心を惑わせた。
予備校に行けば鼓舞するためだろうが、偏差値が模試を追うことにどれだけ増減したのかを教師陣たちが叫ぶ。勉強時間に反比例するように点数が下がると、その度に焦燥感でいっぱいになり、毎日が必死だった。
そんな生活を続けていた冬、いつものように予備校に行くと、同じ予備校に通っていた高校の同級生が名門大学に推薦で合格したとにこやかに宣言して去っていったのだ。運が良ければ受かるかもしれないから、と望んだ門戸が偶然にも開かれたようだった。
あまりにも不測の事態だった。同じように、いやそれ以上かもしれない。努力してきたのになぜ自信を喪失させるようなことが起こるのだろう。今目の前で起こっている事実に目を伏せたくなった。
人生で一番泣いた翌日。「もう限界だ」と思いながらご飯を食べた
帰りの道すがら、涙を堪えられなかった。街のネオンが涙で何色も混ざって滲んで見えて、その度に制服の裾で拭く。その繰り返し。家路に着いた後もご飯を食べながら泣き、ベッドに潜ると枕がぐっしょりになるほど涙が溢れた。
次の日の朝、保冷剤で目頭を当てないと目が開かないほどに腫れていた。おそらく人生でいちばん泣いた夜だったと思う。
「泣きながらご飯を食べたことある人は生きていけます」
私の大好きな作品の1つ、坂本裕二脚本『カルテット』に出てくる台詞だ。
苦しさで胸がいっぱいで、でもお腹が空いていて、口に運ぶけれど中々咀嚼ができない。
水で無理やり流し込んで、こめかみの辺りに感じるズキズキとした痛みを感じながら、「もう限界だ」と思う。
それぞれが痛みを想像して、優しくなることできっと世界は潤うはず
そんな経験があったから、どんなに辛いことがあっても「あの辛さを乗り越えたから」と考えることができる気がする。そして、きっとそんな夜は私だけではなく、みんな1回は経験したことがあるのではないかな。
みんなそんな弱さを奥にそっとしまいながら、その痛みを大事にしつつ前に進んでいるのかもしれない。敢えて自分の痛みや辛さを口にすることはしなくても、相手がもしかしたらそんな痛みを乗り越えて今を送っているかもしれないし、ひょっとすると、痛み真っ只中にいるかもしれない。
お互いが、こうやって想像してやることで優しくなれたら、泣きながら食べたご飯もこの世界を潤す糧になるでしょうよ。孤独を感じる夜があるから、みんな独りで立てているんじゃない。