9,000回の夜を超えた私から、9,365回目の夜を迎える私へ。
あの夜があったから今笑えていると言えますように。

異動が発令され、いとも容易く思い描いていた人生プランが変わったあの日から、見知らぬ土地での仕事を上手くこなせず、恋愛もご無沙汰。
そんな中、都合の良い関係の人から言われた「だからお前、そんな感じの人生なんだよ」。
……ガーン。何それ、いや、確かにそれは私自身が1番私に思っていますが、あなたがそれを言いますか?

今の自分はこんな笑顔がなくなって、口をへの字にしていたのか

だがしかし、ぐうの音も出ない私の現状。友達と電話で話していても、楽しかった学生時代と比較した卑屈な話や自分中心の不幸話のオンパレード。学生時代明るくて、パステルカラーをよく身につけている元気な子と言ってもらえていた私はどこにもいない。
明日から休暇という日。離れた場所で1人で暮らす私を気遣ってくれた友人から電話があった。
仕事からプライベートな話まで語り合った中で、あなたのその環境であれば何も文句ないのでは、と内心思いながら相槌するベランダ窓に映った自分の顔はひどく醜かった。
過去の栄光に縋るようになってから、鏡を見て最低限の身なりを整えているようでその実、過去のキラキラしていた私を投影していたのかもしれない。
はっとした。
今の自分はこんな笑顔がなくなって、口をへの字にしていたのか。
隣の芝生は青い日々はもうこりごりだ、誰か頑張っていると褒めて存在価値を私に与えて欲しいという気持ち。
大人になってから承認欲求は更に膨らんだ。

みんな人生の中で何かと闘っているというのに、私には何も変化がない

褒めてもらうために、いつも会えるわけではない人達に会いに、元いた場所へ行ってみた(本当は帰省したと言いたいが)。
その夜、久方ぶりに会った友人の会話で気付いたこと。
それはみんなそれぞれの人生の中で、何かと闘っているということだ。仕事や恋愛、対象となる事象は違えど、苦しいものを抱えて生きていた。
でも全てを諦めたわけではなく、今の自分を受け入れ次の道に進もうとして今の自分に出来ることを見据えていた。
全てどうでも良くなった行動をとっているわけではなかったのだ。
人に見せる態度はその人自身の一部であり、若干自暴自棄になった私を見て冷静になったが故の毅然と前を見据えた面であったに過ぎないかもしれない。
私がこの地を離れてからそんなことがあったんだという話は、この地では着実に私がいない状況で時が進んでいることと、周りは色んなことが起きているのに今の私には何も変化がない、成長していない切ない思いを抱く反面、困難な期間を乗り越える術は必ず見つけ出すことが出来ることを教えてくれた。

あの時の言葉は、悲劇のヒロイン気分で自暴自棄になった私ということ

なるほど、「だからお前、そんな感じの人生なんだよ」は世界の不幸を全て抱え込んだ悲劇のヒロイン気分、堕ちるところまで堕ちてやろうと自暴自棄になった私ということだったのか。
都合のいい関係などその代表格。
自分1人が不幸で希望を見出せない気持ちは、この街にあったキラキラしていた私生活への嫉妬、そして1人遠い場所で自立していることへの承認欲求は誰かに褒めてもらうのではなく、自分自身が一番自分自身を認めてあげること。
何も変わらない日々などない、変わるきっかけは必ず見つけ出すことが出来る。

帰りの電車、私の心は元いた場所にあるが、体だけは新しい場所に帰っている。
いつか心が追いついて、この地で希望を見出せるように。長い目で、期限は1年にしよう。
1年経ったあなたが、希望がなくなったと絶望した夜があってよかったと思えるように。