あの夜があったから、人間でいる。
当時19歳、大学1年生の話だ。
コロナ禍で、大学に在学するもキャンパスに足を踏み入れることは全くなかった。
しかし、前期授業の後半になってくると対面授業の機会も設けられ、程なくして上京することになった。
「断れる度胸があれば…」と後悔している、ある雨の日の出来事
田舎で育ち、閑静な住宅街に住んでいた私とは、かけ離れた生活を送ることになる。
上京してから間もないうちは意味もなく朝から出かけてみたり、お洒落なカフェに入ってみたりと、楽しい日々を過ごしていた。
「都会」には遊びに出たことがあるけれど、こんなに身近に「都会」を感じれるなんて。
解放感に満ちていて、素敵だなと心から思った。
そんな素敵な「都会」にまみれた、ある雨の日のこと。
「お姉さん、傘貸しましょうか?」
突然の雨に傘を持っていなかった私。
そんな時に傘を持ってきてくれた優しい男性。
「都会」の声掛けは怖いイメージもあったけれど、とてもいい人もいるものだ、なんて感じていた。
でも、それもほんの建前に過ぎなかった。
土地勘も分からず右往左往している私に、雨が止むまで休憩しようとホテルの前で言われた。
ホテルは見ればわかるけれど、ビジネスホテルとは明らかに違った。
この時私に断れる度胸があったなら良かったのに、と後悔している。
ホテルに入ったらやることはひとつだった。
何だか傘をさしてくれるような優しく見える人ですら、怖くなった。
お金を渡され、虚しい気持ちになり、一方で人に求められたことに対する嬉しさも感じていた。
初めて誘って否定されたとき、心に空いた穴が埋まった気がした
そこから私の恋愛観や金銭感覚は破綻した。
有名な待ち合わせ場所に座っていれば声をかけられ、話をもちかけても断る人はいなかった。
お金を貰えて、自分を求めてくれるなんて、なんて都合のいい事なんだろう。
自分に自信がなかった。
認められて嬉しかった。
たとえそれが体だけでも、数時間で終わる関係性であっても。
そんな時に出会ったのが、大きいタワーマンションに住んでいる経営者の社長さんだった。
こんな大きなタワーマンションに住んでいるんだから、さもお金持ちに違いない。そう勝手に決めつけて、また体の交渉を持ちかけた。
「それはダメだよ。自分は大事にしなくちゃ」
初めて誘って否定された。
何事も否定されると嫌な気持ちになるのが自然なのに、その否定は不思議と心に空いた穴が少し埋まった気がした。
喜びを感じた。
彼をもっと知りたい、もっと近づきたい。どうしても自分のものにしたい。
そんな気持ちに初めてなってしまったのだ。
何度誘っても断られるのみ。
最初は「自分を大事にして欲しいから」だったものが、段々と「大事な人だから、傷付けたくない」。
そっか、私、いつの間にか自分を傷付けていたのか。
今思えば、彼にとって都合のいい言葉かもしれないけれど、私にはとても自分が愛されてるというとてつもなく嬉しい気持ちになった。
彼の家で夜景を見ながら、ご飯を食べて帰るだけ。
その日常がとてつもなく好きだった。
金銭で体を差し出すのも辞めた。
あの夜があったから、自分の価値を決めるのは自分だと思えるように
彼には彼女がいた。
それを知った時、罪悪感を感じながら、この私の気持ちにケリをつけようと、夜にもう一度彼を誘惑した。
「いいよ」
彼もきっと勘づいていた。
あれ、否定ばかりされた彼に肯定されて嬉しいはずなのに。
その後はなんとも言えない面持ちで電車に乗って帰宅した。
往復1時間半、週に3回程度。自分勝手に訪ねていただけだけれど、もうこの自分勝手も終わってしまうんだな。
きっと。
なんとも言えない虚無感・絶望感。
それから私は自暴自棄になった。
求められたい・否定されたい。そんな欲求が常に渦巻くようになったのだった。
精神的におかしくなって、入院もした。
だけれど私は知っているんだ。今ならこう思える。
自分の価値を決めるのは、他人でも家族でもない、自分なのだと。
だから、あの夜があったから私は、成長も退化もした。
だとしても、今まで経験したことに無駄なことなんてないと、前向きな気持ちで生きていける人間でありたい。