もしかしたら、人と接するのがまあまあ好きかもしれない。
そんなことをふと思ったのは、ついこの間のこと。
最近どうもやる気が起きない。
やらなければいけない仕事を締め切りまでにこなすことが精一杯で、本当は仕事もしたくない。
このままではいけないと、気分転換にパーっとお金でも使うか!何か買い物でもしよう!そんなことも思ったけれど、特に欲しいものがない。
この気持ちは物欲や他の欲求で満たされるものではないと思った。
1人に飽きた私の心が壊れるのが先か、コロナにかかるのが先か
ひとり焼肉もひとりカラオケもひとり映画もひとり水族館もひとりコンサートも。
わりと1人でどこにでも行けてしまう。
それはそれで結構好きだ。
だけど、たまにやるからよかったんだと気付いた。
1年、いや2年?どこに行くにも1人ばかりで、流石に飽きてしまった。
今は友達と遊びたい以外の欲がない。
友達とごはんに行きたい。
大学生の時みたいに、みんなで鍋をつつきながら中身のない話がしたい。
心が壊れるのが先か、コロナにかかるのが先か、ここ数日、そんな状態で生きている。
仕事帰りに北海道の催事がやっていると知って、少し覗いてみた。
「北海道」は人をワクワクさせる魔法の言葉だと思う。
わざわざエレベーターに乗ってビルの7階の催事会場に行くくらいにはワクワクした。
たくさん食べ物が並んでいて、美味しそうで、買おうかとも思ったけれど、きっと買って家に持ち帰ったところで食べないし、荷物が増えるくらいなら、いらないと思った。
結局、私は何も買わずに家に帰った。
今の私には、北海道の魔法すら効かなかった。
人と会う時は、明るい自分に変えるスイッチを入れ、疲れてしまうけど
コロナ前の日常。
仕事に行って、人とたくさん会う。
ニコニコして話すのは疲れるし、おじさんの話は大抵つまらなくて嫌気がさす。
上記みたいなつまらないのは例外としても、一人でいるときの自分と、他人と接するときの自分のギャップに疲れてしまうことは多々あって、私は人と接するのがすごく面倒だと思っていた。
だけど気付いた。
行きの電車とかだろうか、私はおそらく人に会う時、どこかでスイッチを入れている。
そして誰かに会ったとき、笑顔で挨拶をしている。
それで疲れてしまうわけなのだが、そうすることで私は少しだけ明るい自分になっていた。
そして、その時間はきっとすごく大切だった。
人と話すときの少しだけ明るい私は、根暗な私のことも明るい世界にひっぱってくれていたのかもしれない。
人と話すのは面倒だと思っていたけれど、必要な時間だったんだ
明るい自分と一緒に過ごす時間が極端に減ってしまった今、根暗な自分と過ごす時間が増えた。
それですっかり滅入ってしまったんだろう。
人と話すのは面倒だと思っていたけれど、意外と好きだったみたいだ。
好きというよりは必要な時間だったんだ。
人と話すのが苦手とか、関わるのが苦手とか言ってる人は、一度いろんな人と話してみて欲しい。
出来るだけ愛想の良い人間になりきって。
そうすることで新たな自分に出会えるかもしれないし、そんな自分がどこかに引っ張っていってくれるかもしれない。
今日は仕事がある。
電車でスイッチを入れて、私は明るく楽しい女になって話しをするだろう。
そして、きっと疲れるはずだ。
だけど、これからは「疲れる」と思うだけではなく、これも自分にとっては必要な時間なんだと思える気がする。