夫の嘘は、他愛もないといえば他愛もないものだった。
土曜日の夜、後輩女子と二人で飲みに行った。
それを、友達と飲みに行くと偽っていた。
休日に嘘をついてまで二人で会うのは、許容範囲を完全に超えていた
なぜ正直に言えなかったのかというと、以前、その後輩女子を含めた夫の同僚達が家に来たときに、私がやきもちを焼いたからだ。
私が夫のお客さんのために気を遣って立ち働いている時、夫がその可愛い後輩女子と喋ってばかりだったから、苛々した。その気持ちを、皆が帰ってから夫にぶつけた。
私が嫌がると思ったから、その子と飲みに行くと言えなかった、と夫は言った。
仕事が大変なのだという。同じ仕事をしている後輩の様子が最近おかしいから、愚痴を聞きたかった、と。
火曜日の夜23時。夫と後輩女子のLINEのやりとりを見たあと、私はしばらく洗面所に佇んでいた。
新宿で待ち合わせる軽い会話。今日も楽しかったね-、という22時頃に解散した痕跡。
夫が少なくとも一度、仕事帰りにその後輩女子と二人で飲んだことがあるのは、勘付いていた。仕事帰りに軽く飲むくらいなら、気にならなかった。私も後輩男子と2人でランチをすることもあるし、仕事の一環のようなものだと思っていた。
ただ、休日に嘘をついてまで二人で会うのは、私の許容範囲を完全に超えていた。
紙のように蒼白になった自分の顔を見ながら、人って本当に当惑した時、ドラマみたいなことをするんだな、と他人事のように思った。
浮気ではなかった。でも、嘘をついたことは今でも許していない
結婚二年目。最悪の可能性が頭に浮かんだ。浮気? 不倫? さすがにそれはあり得ない。仕事が大変なのは知っている。後輩女子とは2回会ったことがあるし、コロナ禍で延期したものの、結婚式に招待もしていた。
でも、夫だって、可愛いから気に入っているという、浮かれた心が全くないわけではないだろう。
何よりも、嘘をつかれたことがショックだった。嘘をつかれた以上、これから先、夫の言葉を信じられない。
10分ほど、そこに立っていただろうか。私は洗面所から出て、夫の前に行った。右頬が自分ではない別の生き物のようにひくひくと痙攣して、止めることができなかった。
その晩、夫は泣いた。6年間の付き合いの中で、彼が泣いたのを見たのは初めてだった。
私は眠ることができず、夫は離したらどこかへ行ってしまうとでもいうように、怯えて私を抱きしめていた。私は決して抱き返すことはせず、石像のように身体を横たえて朝を迎え、夫の腕を振りほどいて開店直後のスターバックスに駆け込み、そこから出勤した。
やっぱり、浮気ではなかった。でも、嘘をついたことは今でも許していない。
夫の前でにこりともしないまま数日が経過し、私は徐々に、あの夜をなんとか「良かった」と言えるようにするためには、どうしたらいいか考え始めた。
最悪なこの出来事をプラスに転換するためには、どうしたら良いかと。
愛情が回復。フラッシュバックはあれど、仲良く楽しく暮らせるように
その結果、この機会に結婚生活でもやもやしていることを全て話そう、と思った。
一緒に生活していると、改まって話す時間は意外とない。これをいい機会にしてしまおう。
そうすれば、あの夜のことも少しは前向きに考えることができるかもしれない、と。
「今日は早く帰ってこれる? 寝る前に話したいことがあるんだけど」
夫にLINEをすると、その夜、繁忙期の最中では考えられないような時間に夫は帰ってきた。
シャワーを浴び、食事をするように促すと、何も食べられない、話をしてほしいと懇願された。
私たちはベッドに横たわって、ゆっくりと話をした。
こんな風に話をするのは、初めてだった。
将来のこと、子どものこと、自分と夫のキャリアのこと、スキンシップのこと。
夫は誠実に話を聞き、応えてくれ、思いがけず、彼が色々と考えてくれていたことを知った。
嘘をついて後輩女子と二人で飲みに行ったことは許せないけれど、こうして本音を話すことができて、夫の考えも聞くことができた。そのきっかけになったということについては、良かったと思えた。
あの夜も、悪いことばかりではなかったと。
話し合いをした後、すっかり夫への愛情が回復し、何事もなかったかのように仲良く楽しく生活している。
でも時々、あのLINEを見たときの記憶がフラッシュバックして、怒りがこみ上げてくることもある。あと半年は、新鮮な気持ちでむかつくことだろう。
でも、自分の工夫と行動で、なんとか最悪だけで凝り固まった夜は回避することができた。
とはいえ、完全に許すことができるのは、いつになることやら……。