ただ同じ空間にいてもいい理由が欲しくて、同じ匂いを纏いたくて、そんな理由であの人の真似をした。
本当は良さなんて全然わからないし、辞めようと思えばいつだって辞められるけれど、さほど仲良くもない大学の友達が「かっこいいね。似合う」なんて言うから、そんな言葉に気を良くしてる私は調子に乗って今も辞めれていない。
寒空の下、何時間もあの人とお喋りする、生ぬるい時間が好きだった
当時高校生だった私にはどうしても乗り越えられない壁があったけれど、ただあの人と話がしたくて、あの人の話が聞きたくて、周りに他の先生がいないのを確認して「なにしてるの」なんて白々しく声をかけに行く。
放課後寒空の下、震えながら1人息を吐くその姿に憧れて、数年後に真似をしちゃうようなおこちゃまな私を当時のあの人は子供扱いをするでもなく、対等なふりをして話をしてくれた。ミニスカートの私に「寒そうだね」なんて言いながら貸してくれたマフラーを巻きながら、何時間もお喋りをしたあの生ぬるい時間が私は心地良くて好きだった。
恋心だったのかと聞かれると、思い返せばなんだか違うような気がする
あの頃の気持ちが恋心だったのかと聞かれると、今思い返せばなんだか違うような気がする。ただ憧れて、話してみたくて、担任でもないし、あの人の授業を受けることもないから、あの人はどんな言葉を選んで私に投げるのか、初めは好奇心だったと思う。
適度に接点が薄いから私の成績や授業態度なんかはあの人には関係なくて、どこか私に興味なさげなところが都合が良かったのだと思う。
いつも私が話しかけに行くからめんどくさいだろうなとは思いながらも、その空間でだけは少し無責任な意見を言うあの人が他の周りの大人とは違って安心した。学校では挨拶をする程度だったけど、毎日放課後に少し離れた場所で1人でいるあの人に、学生だった頃の話や最近聞いてる音楽の話、恋人の話なんかを聞いたりした。
校内では話してくれなさそうなことも、あの場所で聞くと話してくれた。「なんでこんなことお前に話してるんだろう」って笑いながら言われたけど、私はそれがなぜだかすごく嬉しかった。
あの空間では、1人の人間として話をしてくれることが楽だった
先生たちには「大人びてるね」なんてよく言われるけれど、大人にはまったくなりきれてないことを私は自覚していたし、そんなことを言いながらも私のことを子供だと思ってる周りの大人にめんどくささを感じていた。
だけど、あの空間でだけは何でも話してくれるあの人のおかげで、大人でも生徒でもなく1人の人間として話をしてくれているというのが楽だった。今思えばそんなことを感じている私は、まだまだ子供だったなと思う。
生徒である私を邪険にはできないだろうし、追い払われないのをいいことに毎日放課後にはあの場所に通った。でも本当はあの人の前でも少しだけ大人のふりをしていた。
卒業式の日、いろんな先生や友達と話をして、1番最後にあの人に挨拶をしに行った。
「何かあったら連絡しておいで。お前はしてこなさそうだけど。俺はちょっとだけお前のことが心配」と連絡先を貰った。
あれから4年が経って、真似をしてることが少し後ろめたくて、あの頃から何も成長していない私は報告することもないし、きっとなんだかんだあの人も興味なんてないだろうからと連絡はしていない。いつか私が真似をやめたら連絡してみようかなと思ったりもする。
今でも冬になると、あの頃借りたマフラーについた煙の匂いを思い出す。