態度も身長も大きな子供。変わった人でいたくて、自意識ばかりが鋭かった
小、中、高校生のときのわたしは、とにかく変わった人でいたかったと思う。そのことで頭がいっぱいで、とにかくとがったことをしていた。
男の子とばかり仲良くなったし、人を傷つけるようなことを平気で言ったし、そのあと素知らぬ顔で本ばかり読んでいた。周りの目なんか気にならなかったのだろう。偉ぶって、背が高かったことも手伝って、人を恐れさせては、そのことが自分をかっこよく見せるのだと信じて疑わなかった。自意識だけが膨れ上がって、人を見下す大入道みたいなやつだったな。
高校から大学に入ってより多くの社会と接するようになってもそれは変わらず、でも人の目を気にし始めて、少し小規模な範囲で権威を振るうずるさが加わりつつ、相変わらず大入道のように気取っていた。
実力以上の人間であるように見られたい、おしゃれだと思われたいって、夢ややりたいことそっちのけで、自分を磨くわけでもなし、人生を豊かにしようと思うでもなし、自意識ばかりが鋭かった。
要するに大きな子供だったのだ。
そのことに薄々気づいてはいて、このままじゃだめなのかも、とぼんやり周りの人を見て思った。
彼らの背中を盗み見て、わたしはたくさんの新しい自分を得た
そして転機は訪れた。大学に入って、何個目かのバイトで彼らに出会ったのだ。二人の友人、TとRと仮に呼ぶことにする。
彼らとはバイトに入った時期がそう離れていなくて、自然と仲良くなった。3人でバイト終わりにラーメンを食べに行ったり、ファストフード店で朝まで過ごしたりして、たくさんくだらない話をした。帰りたくないとごねるわたしを車に乗せて、夜景を見に行ったこともあった。
彼らと話すと、わたしは毎回と言っていいほど新しい発見をした。自分の情けない部分、彼らの生き方。彼らは口でそれを説教したわけじゃない。ただそういうふうに生きてきたから、言葉や行動の端々にそれが見て取れたのだ。
彼らはわたしにない素敵なものを持っていた。Tはわたしが会った中で一番気遣いができて優しく楽しい人だった。Rはわたしが会った中で一番、正直で自由で愛嬌があって、人の目を気にしないひとだった。
だからわたしは、ラーメンも夜景も、どうでもよかった。彼らに会えさえすればなんでもよかった。彼らの背中を盗み見て、大きいなあとしきりに思った。
わたしは僥倖にめぐりあったと、自分の幸運を喜んだ。彼らの素晴らしさを実感するたび目が覚めるようで、いちいちハッとした。周りのおんなじ歳の彼らはこんなにも立派である。情けないわたしをいよいよ自覚したわたしは、彼らの真似をするようになって、変わりたくて無我夢中。
そしてわたしはたくさんの新しい自分を得た。愛嬌も気遣いも、大人としてのコミュニケーションでは役に立つ術を身につけた。
わたしは変わった。まるで子供の時とは別人のようになった。むやみに言いたいことを言うこともなくなって、我慢を覚えて大人であることを受け入れた。
昔のわたしも、大事なものを持っていたんだなと失ってから気づいた
そして、自分を出すことができなくなった。
気づけば、小さい時のように、なんの根拠もなく自分だけを信じて、猪のように見えるところだけ睨みながら突っ走ることはできなくなっていた。
彼らはいわば、普通のいい人だったのだ。普通と言うことを知らなかったわたしは彼らに憧れて、普通になりたくなって、そうして人からはみ出すことができなくなった。
彼らが、君はそのままでいいんだといったことを、わたしはすっかり忘れていたのだ。
最近、Tは就職し、Rは彼女ができて、わたしは他県でフリーターを始めて、少しずつ疎遠になっている。
彼らは永遠に尊敬すべき人たちで、心の師で、大事な友人である。わたしはわたしで、わたしを誇れる人になりたいと思う。彼らに会うのに気後れしないように、今も未熟なわたしを、きちんとした輪郭をもつわたしにしたいと思う。でも一方で、昔のわたしも大事なものを持っていたということを忘れてしまいたくない。かけがえのない大入道ちゃん。
でも、変わる前の子供のわたしはどんなだっただろう。
振る舞いや目線は思い出せるけど、もうあの時の心持ちはこういうふうだっただろうと言う感じで曖昧。
なんだかもったいないようなさびしいような、変な気持ちで昔を思う。