「感覚的記憶品」は、整理するのがとてつもなく困難で…

私には、いくつかの聴けなくなった曲がある。
もともとは、いつもの通勤プレイリストのレギュラーたちだった。
その曲を聴くと心が温かくなり、幸せに満ちていた。
ただ、時が経つにつれて私たちは変化し、大好きだったあの曲たちは苦い記憶の一部となり、今では全く聴くことがなくなった。

恋愛というのは、相手からのプレゼントや写真といった物理的記憶品だけでなく、目で、肌で、鼻で、舌で、全感覚で感じ時間を費やし記憶している。
耳も同じように、その声や曲を聴くだけであの頃の記憶が溢れてくる。
捨てれば目の前から消えるモノではないこの感覚的記憶品は、とてつもなく整理することが困難だ。

結婚を控え、大好きな彼と暮らしている今でさえ、私は街中やテレビであの頃に聴いた曲を耳にすると、なんとも苦しく、心がグッと嫌な感じがする。
結婚という新しいスタートを前に、私は私の未だ整理できていない記憶品たちをきれいに整えたいと思う。

彼が褒めてくれたあの日から、あの曲はプレイリストに加わった

私が社会人成り立ての頃に出会ったあの人と「丸の内サディスティック」の思い出のほとんどは、新宿と池袋が舞台だった。
自分の夢に向かってマルチに挑戦している彼に惹かれ、恋をした。
だけど、夢を追いかけているあの人は、いつだって私のことは後回しだった。
デートよりも、記念日よりも、クリスマスよりも。
自分の目標に一直線だった。

そんなあの人の姿に惹かれたはずなのに、私は私を、私とのことを一緒に考えてくれる人がいい、そう思い始めた。
デートの計画もたまには立てて欲しいし、記念日にはサプライズして欲しいし、クリスマスは一緒に過ごしたい。
会うたび、自分がぞんざいに扱われているように感じた。

もちろん楽しい時間心地よい時間も沢山あった。
特に一緒にカラオケに行くのは、本当に楽しかった。
私が椎名林檎の丸の内サディスティックを歌った時、
「いい声だよね、曲にすごく合う」
そう言ってくれた。
それから私のプレイリストには、丸の内サディステックが流れ続けた。

彼とは桜の時期に付き合い、その次の桜の時期に別れた。
好きだけど、別れないと私がどんどん辛くなる。
人生で初めて別れる時に涙が出た。
彼はいつだって優しい。
「別れたって友達だ」
そう言ってくれた。だけど私は友達になんて戻れない。

涙が枯れる頃に、私は彼との思い出のモノを処分した。
そして、プレイリストからあの曲も外した。

今はまだ苦いけれど、いつか「ただ懐かしく」なるのだろうか

あれから数年が経ち、街で流れていたあの曲が耳に入ってきた。
今はもう、悲しくも苦しくもない。
ただ、懐かしく苦い。
彼が今どこで何をしているのかは分からない。
分からなくていい。
もう数年経てば、あの曲もただ懐かしい、そう思える曲になるのだろうか。

だれにでも、なかなか整理できない記憶品があると思う。
忘れたくても忘れられない、そんな思い出たちが。
無理に忘れる必要もないし、忘れる努力は無意味だ。
ただただ苦しい時は苦しくなっていればいい、そうしているうちに知らぬ間に整理されているものだから。