遠い昔の記憶。
幼かった私は、愛知県の小さな町に住んでいた。
お出かけすることはあまり多くなかったが、時折何かの用事ついでに、父や母と一緒に星ヶ丘三越へ行くことがあった。

三越の赤と白の包装紙で包まれたものは特別で、日常の小さなご褒美

近所では見かけないデパートという場所は、綺麗な格好をした人が多かったり、商品が常に整理整頓された状態で展示されていたり、ほしいものがあっておねだりをしても父も母も少し困った顔をするので、幼いながらに、少し背伸びして行く品格のある場所だと思っていた。
そう思っていたからか、星ヶ丘三越に行った時に必ず買ってもらっていた手焼きのみたらしだんごは、私にとって格式高いおやつだった。
フードパックに詰められているだけではなく、三越の赤と白の包装紙で綺麗に包まれているのも、プレゼント包装のようで特別なものに思えた。
それは日常のなかにあるささやかなご褒美として、保育園児だった頃から高校を卒業するまで続いた。

8年前の記憶。
大学進学のために上京した私は、 慣れない土地で一人暮らしを始めた。
憧れの地でもあった東京を満喫しようと思ったが、18、19歳が堂々と歩ける街は限られていて、萎縮してしまう街の方が多かったように思う。
なかでも銀座を歩くときは、どれだけお気に入りの服を着ていても、場違いな気持ちになった。
街を歩くだけでもそんな気持ちになっていた私は、1人ではどのお店にも入ることができなかった。
ジーンズ、Tシャツ、スニーカー、大きなリュックが定番の私は、その格好が馴染む街で過ごし、背伸びすることはあまりなかった。

気後れしなくなった今でも、赤と白の包装紙の香りに自然と頬が緩む

最近の記憶。
社会人になり、自分一人の力で生活をしている。
今ではワンピースを着る機会が増えて、ヒールを履くことも少なくない。
気になっていた化粧品があり、用事ついでに銀座に向かう。
銀座を歩くとなっても、大学生の頃に感じていた気持ちはもうない。
大体のお店は1人でも気後れせずに入られるようになった。
その日もお目当てのものがある銀座三越に一人で入る。

銀座三越地下一階、化粧品カウンター。
自分へのちょっとしたご褒美に、ちょっといい化粧品を買ってみた。
店員さんが商品を包んでくれる際に、三越の赤と白の包装紙を取り出した。
ふと、香る。
遠い昔の私は意識していなかったが、三越の赤と白の包装紙には言葉では表現できない他にはない香りがある。
自然と頬が緩む。
手焼きのみたらしだんごが頭に浮かび、当時の特別感と懐かしい気持ちが後からやってくる。

包装紙の香りは、私に、自分が大人になっていることを教えてくれた

遠い昔、父や母に買ってもらっていた手焼きのみたらしだんごがご褒美だった私も、
今は、自分の稼いだお金で買う化粧品がご褒美になっている。
寂しいような誇らしいような気分になった。
三越の赤と白の包装紙の香りは、私に、自分が大人になっていることを教えてくれた。
次にこの香りを感じるときはいつだろうか。
きっと私はまた笑みをこぼすだろう。
そのときは、星ヶ丘三越で手焼きのみたらしだんごを、今度は私が父と母に買うときだといいなと思いながら帰路についた。