本当は金木犀の匂いではなく、花の匂いに喜ぶ母の姿が好きだった
![](http://p.potaufeu.asahi.com/bc19-p/picture/26415115/c3371f442b42ff674bbe201302b0ce7a_640px.jpg)
玄関を開けてすぐ横にある木。
毎年この季節になるとオレンジ色の花を付ける。
甘酸っぱいこの匂い。
幸せな匂いがする。
昨日までは蕾だったのに。みんなで声を掛け合ったかのように一斉に小さな花が咲く。
「行ってきます」を言ったばっかりだが、すぐに扉を開けなおす。
「今年も咲いたよ」と母に伝えるために。
毎年、扉を開けた瞬間に広がるこの匂いが大好きだった。
落ちたばかりの花をいくつか集めて、手に持ちながら学校へ行った。
花が散り、地面がオレンジ色から茶色に変わる。
少し切なさを感じながら、来年のこの時期を待ち遠しく思った。
10年ほど経ち、我が家の扉の先にある木が、花を付けなくなった。
葉は付けるが、花が育たないのだ。
他所の家から漂うその匂いに、扉を開けたあの瞬間の心が弾むような気持ちを思い出す。
扉を開けてから母を呼ぶまでの一連の場面が頭をよぎった。
何かあったときに1番に伝えたくなる人、それが母だった。
私は花の匂いではなく、母の花の匂いに喜ぶ姿が好きだったのだ。
嬉しいことを教えたい。
喜んでいる顔を見たい。
小さい私は母を愛していたんだと気付く。
喧嘩もたくさんした。
妹や弟ではなく、私ばかりに怒る母。
心配されることが、うざったく感じた。
高校を卒業し、家を出た。
母の小言がなくなり、快適だった。
彼氏も出来て、毎日楽しかった。
たまに家に帰ると、次々と話が溢れてくる。
いろんな話を母に伝えたい自分に気が付く。母は嬉しそうに聞いてくれた。
就職して地元を離れた。
時々家に帰ると、私が好きなご飯を必ず作っていてくれる。
それに、何でも持って帰らせようとするのだ。
私の家の近くにもスーパーはあるのに。
少しうざったく感じるが、母の心配に感謝ができるようになった。
いつでも帰ってきていいからね、と言われた日。
帰りの電車内で、少し泣きそうになった。
私は家にいない方がいいのだと思っていた。
私のせいで、すぐ喧嘩になるからだ。
思えば、子供の頃から私がやりたいと言ったことは何でもやらせてくれた。
私が進学先を勝手に決めた時も、一度言ったら聞かないからね、と笑いながら承諾してくれた。
私がどんな仕事をしたいか分からない時は、あんたは企画職とかが合うと思うよ、とアドバイスをくれた。実際、今の私の仕事は企画関連である。
いつも私や妹、弟に新しい服を買い、自分は何年も同じ服を着る母。
私たちには新しい良い靴を買い、自分には安物の靴を買う母。
仕事でどんなに遅く帰ってきても、私たちのために家事をしてくれた母。
冷凍食品ばっかりのお弁当は嫌だと言うと、ごめんね、と申し訳なさそうに謝る母。
誕生日にプレゼントをすると、私にお金を使わなくて良いのにと怒りながら、嬉しそうにする母。
私の思い出たちが、母は私を愛してくれていたと証明してくれている。
仕事帰り、道を歩いているとほんのり、あの懐かしく、甘酸っぱい幸せな匂いが鼻先をくすぐる。
マスクの下で、少し微笑んだ。
そういえば、今年は久しぶりに玄関先の木に蕾が出来たと母が言っていた。
今週末は、母にケーキでも買って帰ろうかな、と思っている。
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