みんなで食べるために買う「それ」に、私だけが楽しみにしていることがある。「それ」が入っていたであろう「箱」に私は用があるのだ。
みんなの目当てはその「中身」。私の目当てはその「箱」。
この時点でおかしいのは、明らかに私の方だということはわかる。しかし私にはその「中身」を食べる前に、どうしてもやらなければならないことがある。
そう、その「箱」の匂いを嗅ぐことだ。

捨てられる寸前に嗅いだ。その「箱」は驚くほどに落ち着く匂いがした

その「箱」の匂いとの出会いは、私が3歳か4歳ぐらいのときの話。まだ香水とか花の香りとかに、全く興味がなかった私。そんなとき何を思ったのか、ふと目に入ったその「箱」を、嗅いでみたくなった。
幼かった私に、その「箱」を嗅ぐことへの恥じらいや戸惑いなどはなかった。本当に、ただ嗅いでみたくなっただけなのだ。
それからの行動は早かった。嗅いでみるとその匂いは、言葉にできないほど落ち着く匂いだった。
普通の画用紙より丈夫そうな紙でできていると思われるその「箱」が、驚くほどに自分にとって落ち着く匂いになった。
その「箱」は、役目が終われば捨てられる。その「箱」の匂いを嗅げるのは、捨てられる寸前なのだ。つまり、その「箱」の寿命は短い。捨てられる寸前で嗅げなければ、あの落ち着く匂いを嗅ぐことができない。

もうすぐ21歳になるのに、子どものように匂いを嗅いでしまう

私にとって嗅ぐことができないということは、ショックなことなのだ。なぜなら、その「箱」の匂いは私にとって、一種の「精神安定剤」のような役割を果たしているからだ。その匂いが忘れられないから、私は人一倍「それ」を楽しみにする。
その「箱」を私は今でも、「すぐ捨ててしまうなんて」と思ってしまう。ほぼ夏限定と言える「それ」に、私は夏が終わると「またね」と心の中で想いを伝える。まるで連距離恋愛をしている恋人のように。
でもこれは私にとって、誰にも言えない秘密事の一つ。誰かに言ってしまえばきっと、その「箱」はもう手に届かない。
だって、周りから「変なの」って思われてしまうから。それでも嗅いでしまう私は最近、自分で自分のことを「変だな」と思ってしまう。
もうすぐ21歳になろうというのに、子どものように匂いを嗅いでしまう。

思い出の中にある忘れられない匂い。その「箱」の匂いが好き

もうこれは「癖」なのかもしれないと思うこともあるが、私にとって「癖」とは無意識でやってしまうこと。そう考えると、この行為は「癖」とは違うものになる。
きっと私は、その「箱」の匂いが忘れられないだけではなくて、単純に「好き」なのだ。「好き」だからその行為をしようとし、思い出の中にある忘れられない匂いだから、嗅いでしまう。理屈的に言えばこうだろう。
うちに来て冷凍庫に余裕があったら、そのまましばらくの間は冷凍庫で眠っている「それ」は、みんなの楽しみの一つ。みんなと楽しみの対象が違う私は、少し変わっているけれど、「それ」を楽しみにしていることは同じ。
ただ私はその季節の初めに、冷凍庫を開けてその「中身」を取り出したその「箱」に、「また会ったね」と心の中で想い、忘れられない匂いを嗅ぐ。