「捕らぬたぬきの皮算用だ」
泣かないためにとりあえず自分に言い聞かせた。
まだ捕ってもない、捕れるかもわからない、捕れないとも決まっていない、そんなたぬきのために泣く必要はない。
私は目に力をいれる。
力の入れどころを間違えて、より涙が乗り上げそうになる。
でも、じゃあいつ泣くのだ。
たぬきが目の前で木っ端微塵になったときだろうか?
都会で泣くという醜態を晒さないために、頭をたぬきでいっぱいにする
はるばる地元からやってきた遠い会社の面接で、「空振りの手応え」という矛盾のような感触を胸に抱いた私は、大都会の真ん中で泣き出す、という醜態を晒さないために、頭の中をたぬきでいっぱいにしていた。
うろ覚えのたぬきのイラストが、頭の中でぼんぼこぼんぼこ跳ねている。
たぬきもことわざも、今ここにふさわしいかふさわしくないかなんて、心底どうでもよかった。
これ以上涙が出てこなければ、なんでもよかった。
きつい、しんどい、つらい。
聞いた通りだった。誇張ではなかったのだ、先人たちの教えは。
就活をスタートさせた私は、まだスタートしたばかりだというのにもう疲弊していた。
「就活」「ES」「ガクチカ」
就活にまつわる言葉は(そもそもの「就活」を筆頭に)誰が決めたのか全部が短くなって私たちの世界に降りてきた。
短縮されたおかげでなんだかとても軽々しい雰囲気を漂わせているのに、口に含むだけでどっと重さを感じるようになった。
周りの声もアドバイスも面接官の質問でさえ
もう聞きたくない。
ずっと憧れていた仕事が、憧れで終わるかもしれないという恐怖が、じわじわと私に穴を開けていく。
たぬきで頭をいっぱいにして、開いていく穴を埋めるようにしながら帰路をたどった。
新幹線を待つ時間を埋めたくて入った本屋で、1冊の本と出会う。
救いを求めた本の主人公にも裏切られ、私のたぬきは砕け散った
何よりも帯だった。
私と夢を同じくする人の物語だと書いてある。
しかしその横に続くのは、その就職活動が実を結ばないという事実。
私の将来を描いた物語かもしれないと思った。
たぬきでごまかせそうにない悲しみの穴を物語で埋めようとして、新幹線のお供に選んだ。
私は安心したかったのだと思う。
主人公は、夢とは違う職につき、そこでやりがいを見つけていくのだな、と。
期待していたのだ。
たとえ第一志望の職種でなくても、その場所で生きがいは見つけられる、と。
主人公はそれを体現してくれている、と。
だから、裏切られた気持ちだった。
主人公は会社を辞めた。
その場所でのやりがいを見つけることはできても、夢を捨てることはできなかった。
裏切られたと感じたその瞬間、自分がただただ逃げる理由が欲しかっただけだと知った。
先が見えない就活の中で、心のどこかで、夢が叶わなくてもいいよ、別の場所でもいいよ、と誰かに言ってほしくて読み進めていたのだと気がついた。
いいよ、と思えるかは自分次第なのに。
他の誰でもない自分で自分に「いいよ」と言えなければ意味がないのに。
たぶん今日の私のたぬきは砕け散った。
皮算用なんて到底できないほどに。
救いを求めた本にも裏切られた。
でも、そこには「いい意味で」と付け加えられるかもしれない。
今日裏切られたことでこの先に進もうと思えたのなら。いつか。
自分の不幸では泣かなかったけど、優しさが沁みたとき泣いた
きっと今日の面接はだめだったけれど、これからだって、まだ遅くない。
いつだって遅くない、はずだ。
母に帰りの時間をメールすると、地元の新幹線の駅まで車で迎えに行くと返事が来た。
きっと文面で今日が芳しくなかったことはバレている。
母も仕事で疲れているのに。
家から遠い駅まで来てくれるのか。
画面がぐにゃりと歪む。
防水でよかったと思う間もなかった。
泣かないと決めていたのに。
でも、でも優しさが沁みたときに泣いたのだ。
自分の不幸でも、ふがいなさでも泣かなかった。
それだけの小さなプライドの破片がずっと私を支えていくような気がした。
幻想かもしれないけれど。
今日爆発したたぬきにきちんと向き合うにはまだ時間がかかるけれど、きっとそう思えたことが大事なのだ。
と、思うことにする。