かつて友人にこう言われたことがある。
「趣味が転職活動みたいになってない?」と。

仕事に不満はないけれど、転職サイトの求人が面白そうに見えてしまう

その当時、私はまさに何度目かの転職活動の真っ只中だった。
そんな中で友人から告げられたその一言は、私にとってあまりにも衝撃的な一言で、そう感じる一方では、言い得て妙であるとも感じていた。友人には「そんなの趣味じゃないよ」と笑って流したけれども、当時は心の中では否定もできない言葉だった。

どんな仕事をしていても、ちゃんとやってはいたが自分で納得できるほどの仕事をしたことがなかったし、ほかにやれることがないか仕事を探すほどだった。
仕事中も特に周りから怒られることもなく、その逆で褒められるほうが多かったと思う。

それでも、私には仕事への達成感がほとんどなく、ずっとぐるぐるとこのままでいいのだろうかと考えてばかりいた。仕事で褒められても、自己肯定感が低いからか「このくらい、覚えれば誰にでも出来ることなのに、褒められるようなことじゃない」だとか、そんな風に考えてしまってどうしようもなかった。

そうなってくると、いよいよもって私はどうしたらいいのか途方に暮れてしまう。
別に、仕事そのものに不満があるわけではなくて、面白味がなかったというわけでもない。
どの仕事でも休日はきちんと取れていた方だったし、給与にしても、学歴の割にはもらえている方ではあったので、別段、表面上で見えている条件たちにも不満はなく。

つまりなにが言いたいのかといえば、転職自体は、したくてしているわけではないのだ。
けれども、途方に暮れてしまっているときに転職サイトに載っている求人を見てしまうと、条件も悪くない上に、企業の評判も悪くないからか、そちらのほうが今の仕事よりも遥かに面白そうに見えてしまうのである。
これを隣の芝生は青く見えるというのだろう。

転職の結果を見るときの気持ちは、年明けにおみくじを引く感覚に近い

するとそれ以降、一気に行動が早くなるのである。
しっかり、ちゃっかりとも言うのだろうが、有休もきっちり取りつつ2ヵ月後には仕事を辞めて、貧乏性ゆえに登録をしたまま更新を止めていた転職サイトに復帰。

そしてこれまた貧乏性ゆえにとっておいた、以前転職活動をした際の履歴書や職務経歴書のデータを流用し、内容を書き足したり修正したりして難なく応募書類のデータを作成してしまうと、転職サイトを通していくつか書類選考に挑んだ。

職歴や学歴も相まって、その勝率は五分五分といったところだっただろうか。面接の勝率はそれより下がるものの、悪い球が打てなかったわけではないだろうと思いながら結果を見たこともある。

この時の気持ちといえば、年明けにおみくじを引いて、中身を見るときの感覚に近い。だけれども、そこであえていい結果が出るようにとは期待しなかった。こういうことは期待しすぎると思う通りの結果が出なかったときにがっかりしてしまうからだ。

そうして過度な期待はせず、自分のペースで転職活動をしてから、早3ヵ月。
今、すでに私は新たな仕事をしていて、これまた早くも1ヵ月が過ぎたところである。

人生は自分のためのもの。転職は人生を豊かにするためのライフハック

私は、かつて友人にこう言われたことがある。
「趣味が転職活動みたいになってない?」と。

言われたけれども、根本的な話をすると私自身、転職に対するハードルが低いのだ。
どんな仕事をしていても、どう仕事をしていてもなんとなく納得できないのなら、その時点で早めに転職を考えてしまう。本当はもっと我慢して働けと言われるのかもしれないが、自分の人生は自分のためのもので、人に左右されて決めたくはない。

周りにいくら勿体ないと言われても、転職するなんて大変だろうと言われても、気にならない。だから必然的に転職に対するハードルが低くなっていくのであって。

つまるところ、私が何を言いたいのかといえば、私にとって転職とは、友人が言うような趣味などではなく、人生を豊かにするための、単なる私のライフハックであるということだ。